カモネギFX

株式投資、FXデイトレード、古書収集などをド田舎で行っている資産運用ブログです。

2013年10月

高金利通貨積み立て雑感 その1

久しぶりにFXの話題です。


時間の経つのは早いもので、何となく始めた高金利通貨の積み立ても既に一年が経ったようです。


「豪ドルなんか積み立ててほんとに大丈夫かいな?」


と、最初は恐る恐る2000円から始めた高金利通貨の積み立て投資も3000円、5000円と徐々に金額は増えていき、現在の月額の積み立て金額は1万円になっています。


一年程度の期間で結論を下すのは早計だとは思いつつも、自分の実感としては、金融商品のメインはやはり株式におくべきだと感じました。


そのあたり、今の高金利通貨と商品ETFのポートフォリオも公開しながら、改めて今後の投資戦略を練り直したいと思います。


さて、高金利通貨と商品ETFの現在のポートフォリオは以下のようになっています。


2013年10月末現在 総投資金額 130,000円


豪ドル 平均単価 89.3925   数量 1,051


ランド 平均単価  9.7357   数量 57,291


銀ETF{1542} 平均単価 6300   数量 3


現状の含み益は二割程度といったところでしょうか。


レバレッジは結構すごいことになってます。

定期預金で金持ちになった人はいない その2

総資産の90%以上が株式になっているというフルインベストメント状態が続いています。


独身なのでこういう無茶なことができるというのも当然あるのですが、当初こういうポートフォリオにするにあたっていろいろと考えたことはありました。


ネット証券で簡単かつ格安手数料で株式を売買できるようになった今日では、約定から数日で銀行口座に売買代金を振り込むことができる株式は定期預金の代用品になる。


問題は株式は定期預金と違って値下がりする可能性があるという点です。


大不況が訪れてなおかつそのときに自分の所有株式をすべて売却しないといけないような資金需要が発生するというのであれば、これは大損失を出してしまう可能性があります。


ただ大不況が来ても株式資産を取り崩さないといけない資金需要が発生しなければ含み損は実現損失になりませんし、仮に資金需要が発生しても少額であれば損失は軽微に留まります。


大不況と大きな資金需要、この二つの条件が同時に発生する可能性はどれくらいあるのか?


「これは杞憂だ」


と自分は判断して、ほぼすべての資金を株式に変えました。


私が株式をドカドカと買っていたのは2011年の夏頃から2012年の秋頃までの日経平均が8000円台半ばから9000円台をうろうろしていたときのことです。


新聞ではこれ以上円高になるととんでもないことになると大騒ぎしていたのを覚えています。


当時リーマンショック時くらいのラインまで下がると思って株式の購入を控えた人もいたと思いますが、自分は既に70円台後半まで円高になってしまったので、これ以上株式は値下がりしないかもしれないと思って、フルインベスト状態にしてしまいました。


「いつ投資するかよりも早く投資することのほうが重要だ」


という長期投資の格言に従いました。


初期の時点こそリスクはあったと思いますが、今では株式を定期預金代わりにすることに何の不安もありません。


日経平均が再び9000円を割り込み、かつタイミングよく私に大きな資金需要が発生しない限り、損失が発生することはありません。


今はどちらもそんな気配はありません。

定期預金で金持ちになった人はいない その1




私が東京に住むようになってから四十六年たつが、デフレが続くこの数年を除けば、どの十年に区切っても生活費が倍以上にならなかったことは一度もなかった。(中略)



私は冗談半分に「定期預金をして金持ちになった人はいませんよ」と、この間の説明をしたが、銀行の人たちは私がこの話をすることをとても嫌がった。(中略)


物価の上がるときに定期預金をするのは徒歩で自転車のあとを追うようなものである。(p.92)


現在の日本は極めて例外的に長期のデフレに陥ったので、経済の発展史はインフレの歴史でもあるということを忘れそうになってしまいます。


インフレ下では定期預金の金利以上に物価が上昇するため、定期預金をすれば、お金を増やすどころか、どんどんお金が目減りしていくことになります。


その対策としてはお金を手に入れたそばから、資産価値のある不動産、株式、骨董などの現物にどんどん変えていくことです。


ブログの過去記事で定期預金代わりに株式を買うというようなものを書いたことがあります。


手前味噌になりますが、今のところ極めてよい結果を生んでいます。

Qさんは古くならない その5

Qさんの思想は古くなりませんが、実体としての流通している書籍の方はどんどん古くなっていきます。


アマゾンマーケットプレイスやブックオフには捨て値で販売されている膨大な数のQさん本があります。


ただ古い、現代的でないというだけで見向きもしない人たちがいるからです。


これは大きなチャンスの一つです。破格値で色あせない財テクの深奥を学ぶ機会は誰にでも開かれています。


というわけで、Qさんの著作に学ぶ新カテゴリのスタートです。


既に部屋の中にはQさん本が30冊ぐらい溢れかえっています。


私の場合、高いもの、新しいものが良いものとは限らないということを学ぶのに随分時間がかかったように思います。

Qさんは古くならない その4

サザエさんとQさんには共通点があります。


サザエさんにはパソコンもプレイステーションもスマホも登場しません。今の生活状況とはかけ離れた世界でストーリーが展開していきます。


そういう点から見ると、サザエさんは古臭いという領域を飛び越えて、もはや現実離れしたお話に見えないこともありません。


それなのに、もっとも競争の激しいテレビ番組の枠の中で、未だにサザエさんが不動の地位を占めているのはなぜなのでしょうか?


答えは一つしかありません。


サザエさんが時代を超越して人々の感性に届く何かを表現できたからとしか考えられません。


20年や30年くらいではびくとも変わらない人間性の深奥を表現できた。


同じようにQさんも数十年くらいでは少しも変化しない資産運用の本質的な部分をとらえることができたから、Qさんの死後もそのサイトは更新し続けることができているのです。


Qさんの膨大な過去の著作のうちからほんの一部を毎日サイトに更新するだけで、現代さらには未来の閲覧者を満足させることができる。


財テクの深奥に到達してなければできないことです。

Qさんは古くならない その3

Qさんは非常に多作な方で、出版された著作は400冊を越えているようです。出版社を変えての再版などを含めるとしても非常に多くの著作を残しました。


私などがよく目にしたのはバブルの頃に書かれたいわゆる財テク本なんかが多くて、今の世相からするとちょっとズレているなあと思い、あまりQさんの本は読んだことがありませんでした。


しかし、改めてQさんの著作をいろいろと買い集めてみると非常に参考になる考えが多く、これまでの自分の認識をあらためるに至りました。


「Qさんの思想の断片的なものしか見てなかった」


と。思えば、数十年もの長きに渡って、財テク本を出版し続けられるというのは、尋常な器量で成し遂げられるものではありません。


株高になればワラワラと出てきて、ブームが去れば見向きもされなくなる評論家たちは数多くいますが、誰の名前もはっきりとは思い出せません。


一方、Qさんは財テクに関する本質的なものを掴んでいたので、その死の直前まで、著作を出版し続けることができました。


いわゆる一発屋とは一線を画す存在だったのです。


惜しくもQさんは昨年亡くなりましたが、Qさんの本家サイトは未だに毎日更新され続けています。


「Qさんは死んでしまったのに、なんでサイトが更新されているんだろう」


と最初見たときは少し混乱したのですが、今なら毎日サイトが更新されている理由が分かります。


Qさんは古くならないのです。

Qさんは古くならない その2

ほんのわずかな月報の文章の中にこんな記述がありました。


パリのベルネム・ジュンという有名な画廊の創始者は「絵を買ってくれるお客は私を食わせてくれる。しかし、私から何も買わない人々は、私に財産をつくらせてくれる」といっている。


するどい。この意味、分かりますでしょうか。


画商というのは絵が売れないとビジネスにはなりませんが、売れなくても名画というのは時間の経過とともに価格が自然と上昇していくから、売れなければ、それはそれでストックとしての資産が積み上がっていくということを言っています。


Qさんはこのベルネム・ジュンの言葉を受けて、「画商は売るために買うのではなくて、売らないために買うようでなければ、財産はできないのである」と綴っています。


くどいようですが、昭和47年のときの文章です。これはひょっとするとものすごい人なのかもしれないと思い、Qさん本を十数冊とりあえず買いあさりました。

邱 永漢
日本経済新聞社
1974

アマゾンのレビューはゼロですが、ものすごく参考になりました。


この本の中でQさんは、画商と不動産業を比較して語り、不動産業者でも大きく成長したのは、仲介業務で利鞘を稼いだものではなく、賃貸業にシフトしていき、ストックとしての資産を蓄えたものであると語っています。


つまり手数料では金持ちになれない。なんと高値の不動産を売りつけられたかに見えたお客さんの方が不動産の値上がりにより金持ちになってしまう一方、目端が利くと思われた街の不動産屋は不動産の価格上昇の恩恵を受けられず、旧態依然と手数料稼ぎに奔走しているという話。


これはまた画商とコレクターの関係にも同じことがいえるだろうとQさんは考えていて、実はプロよりもコレクターの方が有利な立場にあると語っています。


恐るべき慧眼です。

Qさんは古くならない その1

たまの休日には、思い出したようにソファーのあるような大型書店で本を読んで情報収集したり、ブックオフをはしごして本を買ったりすることもあります。


先日、ブックオフで邱永漢さんの初期の小説集が1冊300円と安く売られていたので、なんとなく買ってみました。








邱永漢さんというと私の中では財テクの元祖みたいな人だというイメージですが、初期の頃は小説家であったということはなんとはなしに記憶の片隅にありました。


「あんな人だから、小説も金儲けと関係あるような話なんじゃないだろうか?」


と思ってぺらぺらとめくってみたら、自分の想像通りでした。


ただ本当に買おうと思ったきっかけは月報の内容でした。


その名も金儲け未来学。昭和47年に発行された月報ですが、読んでみると驚くことに少しも古臭さを感じません。


第八講の内容は「絵と宝石が財産になるためには」というものでした。


アンティーク収集、実物資産への投資に興味を持ち始めた自分の目にふと留まりました。

中国古書蒐集 その3 清抄絵図描金銀三国志演義(5)

古本屋がそこそこの値段で売り出した商品を骨董屋的な視点から見ると、まだまだかなり割安に感じる水準であることがある。


この古本屋と骨董屋のビジネスモデルの違いが、今回書籍を安く買えた理由ですが、もう一つ割安になった理由があります。






島津法樹さんの本を読むと、『近高遠安』という骨董用語が出てきます。


これはどういう意味かというと、例えば、日本のものは日本人が一番よく分かっている。だから日本に近いほど日本産の骨董は値段が高くなり、逆に遠くなるほど理解されにくくなり、その値段も安くなるという意味です。


どの国の骨董品にも共通してみられる現象だそうです。


今回の例にあてはめると、中国の書籍のことは中国人が一番よく分かっている。だから中国で一番高くなりやすく、逆に日本では割安に放置される事例もあったりするという話だと思います。


基本的には物価水準が違うので、中国古書は日本の方が高いです。でも比較的頻繁に今回の書籍のようなケースもあって、そういう本を狙って収集していくという戦略は長期的にはおもしろそうな結果を生みそうです。


「日本に帰ってきちゃったから、もう中国にいたときみたいに安く本を買えないや」


と隣の芝生をうらやましがって嘆くのではなく、日本にいなければ安く買えない本を買う、というのは今置かれた環境でできるかぎりのことをやるという私の投資戦略に合致します。


まだまだいろいろとやれることはありそうです。

中国古書蒐集 その3 清抄絵図描金銀三国志演義(4)

今回、この書籍を日本の古本屋は数多くある古本のうちの一つと認識したのにたいして、私や中国の古本屋はわずか十年前に出版されたものとは言え、同じものを準骨董品的な色彩で見ていることから、日中間の経済格差を飛び越えるほどの価格逆転が起こりました。


つまり日本の古本屋は安く仕入れた本なので採算が合う価格で売れれば、自身のビジネスモデルはうまく展開していると満足して終わりの話です。


一方、同じ本が中国市場に現れてくると、歴史的な価値はまだないにしろ、準骨董的なそろばんをはじくコレクターや古本屋がわらわらと出てくるため、そもそも捨て値の安い値段まで値崩れすることがありません。


以前から不思議に思っていたことは、中国の古書のネットオークションに普通の古本屋がどんどん入札してくることでした。


「コレクターならともかく、古本屋がこんな価格で買って採算とれるんだろうか?」


と昔は不思議に思っていたのですが、今ならその理由が分かります。


彼らはもうただの古本を仕入れようとしているのではなく、不良在庫になるリスクが極めて低く、時間の経過とともに価値の上昇するアンティークの一種として古書を見ているのです。


そのときの彼らは古本屋ではなく骨董屋に変貌してます。


あたかもバブル前の不動産屋が土地を仕入れるかのように、資産となる古書を仕入れようとしているのです。

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