故逸見正孝さんの豪邸は総工費12億円くらいかかったそうですが、逸見さんが亡くなった直後に売却しようとしても12億円ではとても売れなかったのではないかと想像します。


自分が意匠をこらして建てた家に同じ金額の価値を認めてくれる人はほとんどいないでしょう。


つまり豪邸は建てた途端から元本割れや債務超過のような状態に陥っているといっても過言ではありません。


また、故逸見さんの豪邸は結構奇抜なつくりのお家だったようですが、仮に他人に貸したとしてもどれくらいの賃貸料がとれたはあやしいところです。


いかに大豪邸でも住んでくれる人がいなければ、賃貸料を下げざるをえません。


こうしてみると、豪邸というのは建てたり、入手してしまった時点で極めて危うい状態に陥るものであって、豪邸に対する唯一の対策というのは「かかわらない」の一言に尽きます。


豪華な社屋を建てた会社の経営は傾く、なんて俗に言うのは、会社を擬人化しただけの話で、原理原則は全く同じだと思います。


一方、では豪邸の対極に位置するような粗末な住居はどうか?


豪邸にまつわる数々の悲劇を見た後では、これが投資と節約を兼ね備えた最高のものでないかと思うようになりました。