王国維の特殊性はその学問的素養だけに留まりません。


学問的パトロンであった羅振玉が買い集めた甲骨片を直に手に取って研究する機会に王国維は恵まれましたが、ほとんどの甲骨片が博物館に収用されてしまった現在では、王国維と同じような研究環境を持つことができる人間は世界にただの一人もいません。


現代ではほとんどの学者は写真撮影された書籍を見るくらいしかできません。


学問的素養だけでなく、物質的な環境面でも到底及ばないがために王国維の学問はもはや再現不可能なアンティークの一種となってしまいました。


ただ、王国維が生きていた頃、彼と同じくらいの古典文献の素養がある人間は数多くいましたし、民間を漂っている甲骨片も数多くありました。


やがて時がたつと、そういう人や物は潮が引くように世間から消えてしまい、ものすごい希少価値を持つようになりました。


王国維の事例から学べることは、どの国のどんな時代にも普段ありふれた風景の中にとんでもない投資やビジネスのチャンスが潜んでいるということです。


時代のふるいにかけられてからようやく多くの人はそれに気づくのですが、いち早くそれを察知できれば、莫大な資産形成ができるのではないかと考えています。


私たちは皆、甲骨片を手にしながら無造作に捨てていた河南省安陽市の農民と同じようなことを日々行っているのでしょう。


まさに歴史は繰り返すです。