全国各地の古銭を買い集めて出来上がった古銭のコレクション「泉品宝鑑」、試しに上海の骨董市場へ12セット、240元で売りに出すと、三日の内に売り切れてしまいました。


この後も二ヶ月ごとに10セット、8セットと売りに出すと、供給量が有限なのは明らかなため、その価値も徐々に上がり始めました。


これに留まらず、外国の博物館に「泉品宝鑑」を売りに出したいと思いましたが、海外にどれくらいの博物館があるのかよく分かりません。


そこで各国の領事館に『古銭大辞典』を一部贈呈するとともに、「貴国の博物館にもこの書籍を贈呈したいから、各地の博物館の住所を教えてもらえないだろうか?」という手紙を送付しました。


こうして世界中の博物館の住所が分かった二人は、『古銭大辞典』をそれぞれの博物館に贈呈するとともに、古銭コレクション「泉品宝鑑」の見本チラシも送付しました。


その販売価格は400元にまで引き上げられていました。


さて、最終的に世界中の博物館に一体どれくらいの「泉品宝鑑」が売れたのか、陳存仁は丁福保に詳細を尋ねなかったので、具体的な金額までは分からなかったそうです。


ただ、丁福保が虹橋路に土地を買ったのはこの古銭の売買益によるもので、後にその土地には病院が建設されました。


多くの骨董商が「小さな売買」と馬鹿にして省みなかった古銭にも理財の道が潜んでいたことが、この事例からは分かります。