道楽は身を滅ぼす。


古くは福沢諭吉の『学問のすすめ』にもこう記されています。


古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟(ひっきょう)その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。


耳の痛い言葉です。私も中国の古典を学ぶのに莫大なお金と時間を使いましたが、収入を得るという点では何の役にも立たず、ワープア労働者として社会の底辺をさまよっています。


福沢諭吉の言う「漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく」に露骨に当てはまっています。


さて、古代中国の文人というと、陶淵明のように困窮して「お金ないけど酒飲みたいよ」みたいな詩を作って、今日まで残る作品を残した天才もいますが、


一方、今日でいうところの政治家と高級官僚と芸能人と文化人を兼ね備えたスーパーマン的な人々も多く、資産形成が得意かどうかは別として、莫大な収入のある人も数多くいました。


唐宋八大家の一人として有名な韓愈なども高級官僚であるだけでなく、著名人が死去した際に墓誌に刻む文章を執筆することで、本業をはるかに上回る収入があったようです。


この高級官僚と文筆業を兼ね備えた文人は古代中国には非常に多く、彼らは超上流階級な人々なので、福沢諭吉が心配したような人々とはまた別の一群です。


さて、ここでまた一つ稀有な事例があります。


高級官僚の職を中途で自分から辞めてしまい、その後道楽の限りを尽くしたような一生を送りながら、なおかつ死んだときには莫大な財産を残していたという稀有な文人が古代中国にはいました。


この人の生涯を調べてみることは道楽で身を滅ぼしそうな自分にとっても何か参考になるところがあるかもしれません。