古代社会のことなので、袁枚にも妾がいたのは珍しいことではありませんが、妻妾の数は若年で亡くなってしまった者たちを併せて10名ほど。


これは姓名のはっきりしている者の数であって実際にはもっと多かっただろうといわれています。


また女性だけでなく、男色のほうもお盛んであったようです。袁枚と同時期の人であった曹雪芹の書いた『紅楼夢』にも少年のホモ話とかが出てくるので、性的嗜好としては当時あったものだと思いますが、男色で有名という文人は寡聞にして聞いたことがありません。


さらには袁枚は詩文の大家だったので、多くの弟子を取っていたのですが、そこに数多くの女性がいたことが当時としては異例でした。(まだ女性には学問など必要ないといった感覚の時代です)


今後もう少し深く調べてみようと思いますが、袁枚の周りにはとにかく女性だらけ、おまけにイケメンにまで手を出す色欲三昧の日々を送っていたようです。


袁枚の欲は食欲、色欲にとどまらず、物欲も盛んです。


彼は広大な庭園の中に膨大な書籍や書画、骨董の類を蓄えていました。中国の骨董サイトを見ると、袁枚旧蔵の銀瓶とか普通に見かけることがあります。贋物も混じっているかもしれませんが、膨大な骨董を蓄えていたことに加えて、日本で言えば江戸中期くらいの人ですから、現代に伝わっているものもかなり多いと思います。


広大な庭園の中で美女と美食に舌鼓ながら、詩文を詠んだり、風景や骨董を鑑賞する。


贅沢な桃源郷のような暮らしですが、それにも飽き足らず、袁枚は度々全国の名勝を求めて旅にも出ます。