結論から言うと、袁枚は文筆業を主体とする起業家でした。


王族、高級官僚、富豪などの著名人が死去した際にその功績を讃える文章を墓誌に刻む習慣が古代から中国にはありました。


これが文才豊かな文人の主要な収入源であったことは以前に書きましたが、若年の頃から文才をもって世間に知られていた袁枚もこの商売に勤しみました。


彼の著作の一つ、『小倉山房文集』に収める文章の約3分1程度がこの類の文章です。あまりにも商売気がありすぎるというので、友人の中には彼を批判する人もいましたが、お金になる限り袁枚は気にもしなかったようです。


おそらく官僚生活を引退する頃には、すでに文筆業だけで生計が成り立つだけの胸算用はできていたのではないかと思います。


この富裕層向けの文章執筆業が最も主要な収入源の一つ。


また当時、書籍の出版は莫大な費用のかかる一大事業でしたが、一度版木が出来上がってしまえば、あとは売り上げさえあるのなら、量産が可能です。


当然その著作が大ベストセラーとなった袁枚は自家出版で利益を得るとともに、各地で海賊版までも流通するようになり、それが彼の知名度をさらに押し上げることになりました。


王族や高級官僚、文人は言うにおよばず、一般市民も多少の教養のある者は皆、彼の著作をむさぼるように読んだのでした。


晩年の頃には、高麗や琉球、イギリスなどの外国の使節団なども袁枚の文集を買い求めて帰っていくほど。


こうなるとさらなるビジネスの種が育っていきます。