袁枚は数多くの弟子を取りましたが、当然弟子からは授業料のようなものを取ったようです。


それがいくらぐらいは分かりませんが、弟子には江南地域の富裕な地域の子弟が多かったことや袁枚自身の知名度を考えてみても、決して安価なものではなかったはずです。


ある女性の弟子が「首飾りを質に入れて学費を払った」という逸話も残っています。


つまり、袁枚の主要な収入源はまとめると以下のようなサイクルを繰り返していたことになります。


富裕層の墓誌銘や伝記、書籍の序文を執筆する。
   ↓
まとめて書籍として出版して、知名度が向上する。
   ↓
読者が増えて、弟子も増える。


このいづれの段階でも収入が発生する上に、このサイクルを繰り返すほどに、収入がますます増加していくという善循環。


またこれだけにとどまらず、ただの浪費に思えた庭園の経営も実は恐ろしく功利的なものでした。