例えばの話ですが、東京ディズニーランドを貸切で遊んでしまえば、湯水のようにお金を消費してしまうでしょうが、それを経営して、客の一人として混じって毎日遊んだとしても、いくらも浪費できないどころか、逆に毎日お金が儲かってしょうがないことでしょう。


スケールの違いはあっても、袁枚がやっていたのはこのような類のことだったのではないかと思います。


道楽や趣味で自分が浪費する以上に、他人に浪費させる。


他人が浪費した分は、自分の収入となるビジネスになる。


随園という風光明媚なテーマパークの経営者である袁枚は、自分が詩文に耽溺する以上に多くの人々にその禁断の果実をかじらせました。


庭園も美食もその中の道具仕立てのひとつ。


文献資料からは伺えませんが、袁枚のことですから、愛妾たちも健康的に働かせていたのではないかと思います。


袁枚はその生涯で道楽の限りを尽くしながらも、死去するときには膨大な田畑などの不動産と銀を残していました。


袁枚の事例から学べることは、ただの道楽にしか見えない趣味でも他人にその禁断の果実をかじらせることによって収入を得られるビジネスに昇華できるということです。


彼のような事例は、ヤクザな趣味を持ってしまった人間にとっては希望の光です。


今後機会があれば、大きな一つのテーマとして本格的に研究したいと思う文人の一人です。