例えば、天保一分銀は、一分と銘打って、4枚で金1両と等価交換できるはずですが、金1両=銀60匁(匁=3.75g)とする幕府の公定レート(市場では変動相場制)からすると、実際にはその3分の1程度の銀(2.3匁=8.66g)しか含まれていませんでした。
つまり、天保一分銀は、本来用いるべき3分の2の銀を使わず、幕府の権力によって3倍の価値を世間に強要し、使わなかった3分の2の銀を幕府の収入として取り込んでしまう性質の通貨でした。
さて、このことがなぜ幕末日本にやってきた外国人にボロ儲けさせる機会を与えたかというと、外国人たちが自分たちの持ってきた洋銀(メキシコドル)と一分銀を計量交換することを要求したからでした。
「同じ銀を同じ重量で等価交換するのに何の不都合があるのか?」
という理論です。
しかし、一分銀は、先に述べたように名目価値の3分1程度の銀しか含有しておらず、残りの3分の2の価値は幕府の権力によって強制的に付与されているものでした。
言わば、3分の1が銀貨で、3分の2が紙幣のようなもの。
つまり、日本の一分銀は金との交換比率によって価値を定められている金の補助通貨であって、海外の銀貨と直接計量交換できる性質のものではありませんでした。
もしそうするならば、上方で流通している丁銀や豆銀板のよう秤量貨幣を用いなければなりません。これなら銀の品位と重量でスバリ価値が決まるので、問題ありません。
さて、幕府は国内金銀の交換レートから、1ドル=1分という為替レートを米国大使のハリスに提示したのですが、ハリスの方では納得がいきません。
「なんで俺たちの持ってきた洋銀(メキシコドル)が、その3分の1程度の銀しかない日本の一分銀に交換されなきゃならんのだ!1ドル=3分になるのが当然だろう!」
といった感じです。
つまり、天保一分銀は、本来用いるべき3分の2の銀を使わず、幕府の権力によって3倍の価値を世間に強要し、使わなかった3分の2の銀を幕府の収入として取り込んでしまう性質の通貨でした。
さて、このことがなぜ幕末日本にやってきた外国人にボロ儲けさせる機会を与えたかというと、外国人たちが自分たちの持ってきた洋銀(メキシコドル)と一分銀を計量交換することを要求したからでした。
「同じ銀を同じ重量で等価交換するのに何の不都合があるのか?」
という理論です。
しかし、一分銀は、先に述べたように名目価値の3分1程度の銀しか含有しておらず、残りの3分の2の価値は幕府の権力によって強制的に付与されているものでした。
言わば、3分の1が銀貨で、3分の2が紙幣のようなもの。
つまり、日本の一分銀は金との交換比率によって価値を定められている金の補助通貨であって、海外の銀貨と直接計量交換できる性質のものではありませんでした。
もしそうするならば、上方で流通している丁銀や豆銀板のよう秤量貨幣を用いなければなりません。これなら銀の品位と重量でスバリ価値が決まるので、問題ありません。
さて、幕府は国内金銀の交換レートから、1ドル=1分という為替レートを米国大使のハリスに提示したのですが、ハリスの方では納得がいきません。
「なんで俺たちの持ってきた洋銀(メキシコドル)が、その3分の1程度の銀しかない日本の一分銀に交換されなきゃならんのだ!1ドル=3分になるのが当然だろう!」
といった感じです。