項羽の享年はわずかに31歳。一方、劉邦の生年には二説あるようですが、漢楚の興亡の頃には40代前半か50代前半の男盛りの頃のようです。


漢楚興亡時期の劉邦の年齢は古代社会だとヘロヘロの中年といった感じかもしれません。


実際、司馬遼太郎の小説では、いくら軍師范増が注意しても項羽はよれよれのおっさん風の劉邦をライバル視することができない様子が描かれています。


歴史にifはありませんが、もし項羽が江東に渡って再起を計り、前半生の失敗に学んで善政を敷いたら、明けの明星は再び項羽の方に輝いた可能性もあります。


なぜなら、その後の歴史を見ると、天下を取って猜疑心の強くなった劉邦はかつての功臣たちを次々と粛清し、それが次の内乱を引き起こすといった悪循環に陥り、項羽の死後ただちに天下が治まったというわけではなかったからです。


もしそのときに項羽が生きて江東に王として健在であったなら……。


あせらずとも先に寿命の尽きるのは年配の劉邦の方であることは明白です。


つまり、項羽にも長生きして勝つ可能性はあったわけです。