カモネギFX

株式投資、FXデイトレード、古書収集などをド田舎で行っている資産運用ブログです。

老後破産という陽炎 その7

結局、元手がなくても労働力という無形資産があるうちは、何度でも再起が可能だということが分かります。


問題は簡単な労働もできないような高齢になったときに少ない年金しかないと窮地に追い込まれるのではないかということです。


私の場合、普通のサラリーマンから非正規のワープアに転落して、ここ数年いろいろな会社を渡り歩いているうちに底辺労働の実態をつぶさに観察する機会があったのですが、雇われで働く場合、75歳あたりが限界のように感じました。


会社や業務内容によっては75歳くらいまで働いている人を見かけることはありましたが、私の場合それ以上高齢の人が働いているのを見ることはほぼありませんでした。(1人、80歳くらいの女性がいたかも……)


おそらく私の個人的な見聞だけでなく、世間一般を見渡してもそのあたりの年齢が労働力を売れる限界ではないかと思います。


また、75歳まで働ける会社、できる仕事があったとしても当人が働ける健康状態でないといけないので、75歳まで働けるというのではなく、働ける可能性があるといった認識の方が正確です。となると、それなりに狭い門です。


一方、75歳を過ぎても働いているケースで珍しくないのは自営業や経営者でしょうか。私の住んでいるところは田舎なので農業やっている人は、80歳すぎてもバリバリ働いていますし、全然珍しくありません。


ただこれは労働力を売っているのとは違うので、死ぬまで働きたい人は、早いうちから定年もリストラもない自営業などに目星をつけておく必要があるでしょう。


さて、日本人の場合、男性でも平均寿命が80歳をこえていますから、仮に運良く75歳くらいまで働けたとしても、無計画で資産も年金も少ないという人は、それ以降窮地に陥ります。


ただ、私の今考えている妄想では、現状75歳くらいが上限になっている労働可能年齢がさらに後ろに伸びていくのではないかと思っています。

老後破産という陽炎 その6

日本人として日本で生きていくなら、「労働力」を売れば、技術が乏しくても高齢で体力がなくてもグローバル的に見れば、結構なお金を稼ぐことができます。


もちろん高い技術力や身体能力があった方がより稼げるのは確かですが、労働力不足の日本ならノースキル、高齢でもそれなりに売れる「労働力」はあるからです。


日本の衰退を煽るような記事もよく見かけますが、日本がこれだけ産業化されて仕事が満ち溢れるようになったのは、10年、20年くらいの成果ではなくてそれこそ100年以上前からの積み重ねの結果なので、今すでに成人した人にとっては無用の心配でしょう。

花神 (下巻) (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社
1976-09-01





幕末の維新新政府軍の軍事作戦を仕切った大村益次郎について描かれた小説ですが、寄り合い所帯の新政府軍の中で薩摩藩と長州藩を除いてほとんどの藩が金欠で、ものの役に立たなかったと述べられています。


ではなぜ薩摩藩や長州藩に資金力があったかという話になるのですが、これらの藩では密貿易や殖産興業を盛んにやっていて、幕末にも関わらず、今日的な意味での商工業が他藩に比べてかなり進展して豊かになっていたからです。


また下級武士が藩政の実権を握ったり、長州藩の奇兵隊に至っては、農民や商人の子弟も混じっていたりと、身分制もかなり崩れてきていました。これも現代の社会構造に近い。


幕末の藩というのは、今日的な意味での県とは全然違っていて、藩=小国家と理解した方が正確です。つまり、国が違えば、経済力の差があるのも当然と理解できます。


単純農作物の米の経済的価値なんて、時間の経過ととも低下していっているわけですから、江戸初期の頃から何もやってなければ、どんどん貧しくなっていって当然です。


おまけに「親父は家老だから、俺も家老になって当然じゃ」みたいな流動性のない体制下では誰も真剣に働こうとするわけがありません。


長州藩に生まれれば、大村益次郎のように親が村医者でも革命軍の軍配を握ったり、または土百姓の子でも奇兵隊に入って先祖代々の武士を打ち破ったりできる可能性がある一方、遅れた藩に生まれたら、そんなチャンスは皆無になるわけです。


生まれた国で全然運命が変わってしまうということです。


外国を悪くいうつもりはありませんが、例えばインドで働いても時給は嫌になるくらい安いでしょうし、今でもカーストが根強く社会にまとわりついていると聞きます。


やっぱり私たちは恵まれています。

老後破産という陽炎 その5

結局、老後の不安の本質は、「いつまでも働けない」というところにあります。


「労働力」というのが、貧乏人にとって最大の商品であるというのは、それが無形の商品であることと、「働く」という商行為が現代では余りにも一般風景化してしまったので、なかなか明確には認識しづらくなっています。


しかし、歴史をほんの少し遡れば、働こうにもろくに仕事のなかった時代があったわけですから、「労働力」の商品価値が飛躍的に高まったということは、よく歴史を観察していれば分かる事実です。


ところで、先日元猿岩石の森脇和成さんが芸能界に復帰するというニュースをネットで見かけて、「へえー」と思っていたら、何気なしに猿岩石の二人がユーラシア大陸をヒッチハイクで横断していたときのyoutubeの動画にたどり着きました。


なんとあの電波少年の企画はもう20年も前のことで、とすると今の若い人は、猿岩石自体知らなくて、有吉さんなんかはただのおもしろ司会者ぐらいにしか思ってないかもしれません。


さて、あの番組ではヒッチハイクをうたいながら、ところどころ飛行機に乗って移動していたりと、TV的な演出は多分にあったでしょうが、20年ぶりに動画で見てみると、「おやっ」と思うところがありました。


早々と最初に渡された所持金を使い果たし、着ていた服まで売り払ってしまい、ほぼ無一文になってしまった猿岩石の二人。


いくらヒッチハイクでも無一文では旅を続けられるわけないよなと思ったら、それからアルバイトを始めて、資金を稼ぐことで旅を継続し始めたんですよね。


「無一文でも労働力を売れば、旅ができるんだ……」(もっとも冷静に考えれば、不法就労ですけれど)


インドで稼ぐ金額と、ドイツで稼ぐ金額が十倍くらい違ったりとか、東欧ではなかなかアルバイトが見つからなかったりとかいったように、世界各国における「労働力」の商品市場が透けて見えます。


つまり、インドでは「労働力」が安くしか売れないが、ドイツでは高く売れる。一方、東欧では労働力の買い手自体が少ない。


働いている人間は変わらないわけですから、働く国がどんどん変わっていくことによって、労働力の売値や売れ行きが変わるのは、まさしくこれが商品の一形態であるということを認識させられます。


こういう番組を見る機会でもないと、日本が労働力を売りやすくかつそれが高く売れる恵まれた市場だということになかなか気づくことができません。


やっぱり私たちは恵まれています。

老後破産という陽炎 その4

歴史や世界を見渡せば、日本のワープアや下流老人は貧困ではない、といっても気休めにしかならないと感じる人もいるかもしれません。


「もう今苦しいんだよ!」とか。


そこで長生きすればするほど未来は明るいという私の推測を述べたいと思います。


過去の株式の超長期チャートを見れば、大雑把な未来の姿が想像できます。短期的な景気変動の波はあっても超長期では株価は常に右肩上がりで上昇していっています。つまり、10年後よりも20年後、20年後よりも30年後のほうが、豊かな社会になっていくのです。


もっとも、それくらいの期間では日本株の直近チャートのように右肩あがりになっていないケースもありますが、50年100年になれば、一目瞭然です。また、日本株のケースだと、敗戦で一度ゼロに近いところまで暴落した後で、敗戦前夜の水準に戻るのに20年程度しかかかっていません。


株式投資 長期投資で成功するための完全ガイド
ジェレミー・シーゲル
日経BP社
2006-07-13




株式、というか人間の生命力の偉大さを感じざるを得ません。


仮に戦前に日本で株式投資をしていた人は、満鉄などの海外植民地企業株に投資していた株式は紙くずになり、国内企業株式も大打撃を受けたことと思います。


しかも敗戦のつけを全国民に払わせるために、預金封鎖と最大90%にも及ぶ財産税が課税されたので、巨大な資産家は日本から一度姿を消しました。


一方で、戦後の株価の安さや不動産、骨董品の投げ売り状態は、今日からすると伝説と言えるくらいですので、戦後懲りずに再びそういうものに投資した人は瞬く間に資産家に戻ったと思います。


敗戦、資産リセットという死亡以外で考えられる最悪の事態が起こっても、結局、株式や不動産に投資する以外の道はなかったということが分かります。


現代に生きる私たちはもう敗戦や資産リセットに怯えながら投資する必要はないので、これだけでも恵まれていると言えます。


さて、過去の話は置いておいて、次回は、近い将来どういう点で今よりも生活が楽になっていそうか、妄想してみたいと思います。

老後破産という陽炎 その3

複利で計算する株式の100年200年チャートがとんでもない暴騰チャートになっているのは、株式投資の本でよく見かける話です。


実際に直近100年200年の庶民の生活水準の向上を鑑みると、あれは学説というものではなく、ただの現実なのだろうと思います。


つまり、100年200年単位の投資となると、個人では寿命が尽きて相続税のため複利運用はできないし、それ以前に短期の投機的な投資で損をしてしまう人の方が圧倒的に多いので、この現実が見えづらくなる。


しかし、たとえ株式市場に関わってなくても我々はみな先祖代々の経済成長の恩恵に預かっています。


例えば、私の父方の祖父は、農業と鍛冶屋の兼業、母方の祖父は鍛冶屋だったそうです。


今からすると、鍛冶屋なんかが職業としてなりたっていたなんてことがまず想像できないのですが、機械化が進む前、かつ国民の過半が農業に従事していた時代にはそれが成立したのでしょう。


生きていたらともに100歳以上、まあ生きているわけはありませんが、100年以上前に私も生まれていたら、祖父たちと似たような人生を歩んでいたことでしょう。


義務教育くらいは受けるかもしれませんが、それが終われば、農業に従事し、副業で鍛冶屋とかを手掛ける。生活のために早くから結婚して、子沢山で自分の時間は無し。文字はよめても書籍とは無縁の生活で、海外はおろか日本国内もほとんどいったことのない場所ばかり。


それはそれで楽しいところもある生活でしょうが、おそろしく見聞の狭い人生になったこととは思います。


それが祖父たちよりも単に100年以上後に生まれたおかげで、少子化の恩恵に預かって大学に進学。それにも飽きたらず、中国へ留学。その後、職を転々とする中年フリーターになっても特に衣食住にまで困るようなことはない。


日本全体が豊かになってなければ、ありえない現実です。


そういう歴史の流れが見えてないから、ハロワに行って、「どれもこれも薄給だな。ちっ」としか思えないわけですが、昔なら薄給以前にそもそも仕事すらなかったわけです。


邱永漢先生の本によく書いてある、「今は仕事はいくらでもあるし、食うに困らない時代になった」というのは、つまりそういうことを言っているのだと思います。

老後破産という陽炎 その2

株式投資の本はどれも似たりよったりのことしか書いてありません。似たような本ばかり読んで、素人戦略を煮詰めるよりかは、もっと過去の歴史を勉強した方が投資のヒントになるものがあるのではないかと思って、江戸、明治、大正、昭和初期の辺りのことについて書かれた本を最近よく読んでいます。


それらの本を読んでとにかく思うのは、昔の日本は本当に貧乏だったということです。


いや、今の日本が本当に豊かになりすぎたと言うほうが正確なのかもしれません。邱永漢先生の本を読んでもしきりにそのことを書かれています。


Qさんのように戦前からの生活経験のある人は教えてもらわずとも理解できることですが、もはや大抵の人が戦後生まれの今では、衣食住の充足などは空気のように当たり前に存在していて、なかなか現代の豊かさが理解できません。


結局、狭い日本の中の他者との比較だけで自分が貧乏だと感じてしまうのですが、現代日本の豊かさを理解できないと、本質を見誤ります。


現代日本の豊かさを理解するには二つの鍵があります。


一つは過去の歴史との比較。


もう一つは海外と日本との比較です。


過去の歴史については、本を読めば分かりますし、今の海外事情は世界中どこにでもいる日本人の書いたブログを読めば分かります。


例え、今ワープアと呼ばれる人たちであっても昔の日本人の貧乏さに比べると比較するのもおこがましいくらい豊かです。


また、海外に目を向ければ、ベトナム人がiphone買おうとすると、月収の二ヶ月分がとびます。もちろん生活費ゼロでは暮らせないので、二ヶ月働いたくらいでは全然買えません。ゆえに中古品市場がかなり活発なようです。


つまり、いま下流老人とかいう新しい造語で人々の不安を煽ったとしても、歴史と世界をぐるりと見渡して冷静に考えれば、それはただのなんちゃって下流老人だろうということです。

老後破産という陽炎 その1

最近は老後破産とか下流老人とかいう言葉がよく聞かれるようになりました。


金額が減少したり支払い時期のどんどん遅れていく年金だけに頼っていると、老後の生活費をまかないきれず、破産したり下流生活を余儀なくされるという意味らしいです。


せっかく長生きして勝つつもりが、逆に老後破産したり、下流老人になってしまっては悲惨です。


「こんなに長生きするんじゃなかった。もっと早く死んでおけばよかった……」


と涙で枕をぬらす日々。こんな恐ろしい情景が近い将来日本中のあちこちで見られるようになるのでしょうか?


私の推測ですが、まだ若い多くの人にとっては、老後破産や下流老人というのは、実は杞憂に過ぎないと思います。


もっとも、誰も老後破産したり下流老人になったりしないと言えば嘘になるでしょう。実際今ですら年金の支給額が少なくて困っている人はいるからです。


ただ、現在盛んに語られている老後破産や下流老人という言葉は、今の経済情勢や社会状況を前提にして話されています。


30年後や50年後の経済情勢や社会状況って想像つきますか?


少し時間を遡ってみると、5年前にスマホをクリクリしている人はまだかなり少数でしたし、20年前ならインターネットを使っている人はマニアでした。


タイムマシンに乗って、30年前の自分に


「ネットで漫画よんだりアニメ見たり、アホみたいに本買ったりするようになるよ!漫画やアニメは無料ですむし、中古本は無茶苦茶安いよ」


と教えてあげても、


「???ネットって何?」


としか反応できないでしょう。


あるいは50年前の高度経済成長期にタイムスリップして、


「日本は世界屈指のお金持ち国家になるよ。早く株式か不動産を全力買いして!」


とみんなに教えてあげても、おそらくみんな半信半疑で銀行に貯金しかしないでしょう(笑)


つまり、30年後や50年後の世界や日本がどういう状況になっているか分からない以上、現状から想像できる老後破産や下流老人はただのおとぎ話に過ぎないのです。

長生きして勝つ その12

多少話が逸れた感じはしますが、歴史上の人物でなくても、市井の一個人でも長生きして勝つというのが、一番重要な長期戦略になると思います。


金融資産が老年世代に偏っているというデータを時々見かけますが、そもそも資本には複利の法則が働くので長期投資の方がリターンが大きくなりやすいだけでなく、仕事の面でも、年齢を重ねるほど経験や知識も増えて、収入も増えやすくなるので、かなり当たり前の現象です。


老人ばかり儲けていると批判的な目で見るのではなく、自分が長生きして同じような恩恵を得ればいいだけの話です。


資産家の家に生まれるとか、美男美女に育つとかいうのはただの運ですし、公務員になったり、一流企業に入ったりするのは、年齢的な制限があります。


しかし、長生きするというのなら、誰にでも今からでも実現できる可能性のあることです。


つまり、凡人ほど長生きして勝つしかない。


では具体的にどうやって長生きするかというテーマになるのですが、それについてはまたいずれ取り上げたいと思います。

長生きして勝つ その11

項羽の享年はわずかに31歳。一方、劉邦の生年には二説あるようですが、漢楚の興亡の頃には40代前半か50代前半の男盛りの頃のようです。


漢楚興亡時期の劉邦の年齢は古代社会だとヘロヘロの中年といった感じかもしれません。


実際、司馬遼太郎の小説では、いくら軍師范増が注意しても項羽はよれよれのおっさん風の劉邦をライバル視することができない様子が描かれています。


歴史にifはありませんが、もし項羽が江東に渡って再起を計り、前半生の失敗に学んで善政を敷いたら、明けの明星は再び項羽の方に輝いた可能性もあります。


なぜなら、その後の歴史を見ると、天下を取って猜疑心の強くなった劉邦はかつての功臣たちを次々と粛清し、それが次の内乱を引き起こすといった悪循環に陥り、項羽の死後ただちに天下が治まったというわけではなかったからです。


もしそのときに項羽が生きて江東に王として健在であったなら……。


あせらずとも先に寿命の尽きるのは年配の劉邦の方であることは明白です。


つまり、項羽にも長生きして勝つ可能性はあったわけです。

長生きして勝つ その10

項羽がいかに稀代の猛将でも広い中国全土において、その武力が発揮できるのは、点や線のような狭い範囲に限られます。


配下の武将が漢軍に討ち取られたり、謀略によって離反していくことによって、項羽自身に傷はつかずとも楚軍の勢力は徐々に弱まっていきました。


結局、項羽自身が漢軍にまともに敗北したのは、全国の諸侯が楚軍を倒すために集結し、漢楚の兵力数が絶対的に逆転した垓下の戦いのみでした。


しかし、垓下の戦いで敗れた項羽に再起の機会がなかったかというとそうではありません。垓下の漢軍の包囲網を突破した項羽は、烏江という長江の渡し場までたどりつきます。


船を準備して待っていた烏江の亭長(宿場役人)が項羽に告げていうには、「江東は小さいですが、土地は四方に千里あり、人口も数十万おります。大王よ、この地で王となられよ。この近くで船を持っているのは私だけなので、漢軍が来ても渡ることは出来ません」と。


このことから、既に全国民が漢軍の支持者になったようにみえても、まだ項羽には支持者が残っていたことが分かります。


しかし、項羽は笑ってこれを断ります。


「昔、江東の若者八千を率いて江を渡ったが、今一人も帰る者がいない。江東の者たちが私を憐れんで再び王にすると言ってくれても何の面目があって彼らに会うことができようか。例え彼らが何も言わずとも、私自身が恥ずかしいと思わずにはいられない」と。


この場面、いさぎよいようですが、立場を替えて劉邦なら迷うことなく、江東へ渡って再起を計ったことでしょう。


最初の一敗で屈した項羽に対して、負けても負けても懲りずに逃げ続けて再起を計った劉邦。


蘇軾の言う通り、極論するとその勝敗を分けたのは、ひたすら忍ぶ者と一度も忍ぶことのできない者の差でした。
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