カモネギFX

株式投資、FXデイトレード、古書収集などをド田舎で行っている資産運用ブログです。

2016年05月

国際格差は蜘蛛の糸 その20

マスコミは真実よりも読者の読みたがる記事を書く傾向があります。


「中国」というと胡散臭いとか危なそうとかいうイメージを読者が持っていると、それを満足させるような内容の情報を律儀に提供してくれます。


最近だと「中国暴落」とか「チャイナリスク」とかいった感じの記事です。


マスコミも商売の一つですから、読まれない記事を書いたり、好まれない情報を提供したりはしないということでしょうが、そのため実態は結構かけ離れていることもしばしばです。


私が書いたほんの断面的な記事からでも想像はつくでしょうが、ど田舎の田んぼの中にある冷凍食品製造会社の業績はうなぎのぼりで伸びています。


私が子供の頃はもっとボロい社屋や工場だったのですが、いつの間にか建屋はどんどん綺麗になってました。


「ハローワークの求人が365日消えたことのないブラック企業なのになんでかな~」


とは近所を通るたびに漠然と思っていたのですが、今回潜入体験してその理由がよく分かりました。


「日本と中国の労働賃金の格差を利用してボロ儲けしてるんじゃん」


他人(他社)が儲けた話なんて、聞いて気持ちいいものではありませんから、こういう真実はあんまり世間に広まりません。


実際どこの会社もこの冷凍食品製造会社のようにできるかというとそうではありません。


移民が日本の労働市場の城壁を乗り越えるのが困難なのに比べると、遥かに簡単なものに思えるのですが、中国の城壁を乗り越えられない日本人もまた多いのです。


ではなぜど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場では日本語もろくにできない中国人研修生を使ってうまく業務を行わせることができたのでしょうか?


全く大した話ではありません。

国際格差は蜘蛛の糸 その19

日本で義務教育を終えただけくらいの学歴しかなくても、会社での日常業務に必要な程度の日本語はほぼ完璧に使いこなせますよね。日本人同士なら意思の疎通に困るということはまずありません。


「当たり前じゃないか。そんなこといちいち書くお前はアホか」


と言われそうですが、外国人にとってはその当たり前のレベルの日本語を使いこなせるようになるのは至難の技です。


私がど田舎の田んぼの中の工場で会った中国人研修生の日本語のレベルは相当低かったです。


私は中国に留学して外国語を学ぶ難しさを身をもって知っていますし、また中国の状況もいろいろと知っているので、彼女たちにある程度寛容になれます。(さらには中国語も通じますし)


ただ、そういうバックグランドのないコテコテの日本人だと彼女たちのぶっきらぼうな日本語や自身の細かい指示が伝わらないことにカチンとくることも多いと思います。


現代ではよほど特殊な業態でない限り、企業活動の最大のコストは人件費ですので、どこの企業も機械化、自動化できるところは限界までそれを推し進めています。


その中で人間が果たす役割は機械化や自動化の及びようもない隙間を埋めることがメインになります。


例え冷凍食品の製造工場のような単純労働作業に見える職場でもそれなりの状況判断やコミュニケーションが必要とされます。


つまり言葉も満足にできないロボットのような人間は、古代社会の土木作業くらいならいざしらず、現代の高度に機能化された職場ではものの役に立たないのです。


もちろん雇用が国内に限られていたときには当然こんな言語能力の問題は存在していませんでした。これが今後も外国人労働者の日本参入の大きな障壁になるだろうと思います。


日本で働くことって実は誰でもできるわけではないんですね。


ところで、私が体験したど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場は、この外国人労働者の言語能力の欠如の問題をうまくカバーしていました。


たいしたことではないのですが、目からうろこでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その18

大分回り道しましたが、本題に戻ります。ど田舎の田んぼの中の工場に、移民のミニマム版とでもいうべき外国人研修生が進出してくる様を私は偶然目の当たりにしました。


ただ、これがただちに今後どんどんエスカレートして、日本人の仕事を奪うようになるかというと、そうはならないとも感じました。


日本での仕事や日本企業の業務については、やはり日本人に大きなアドバンテージがあり、その格差が今後も移民たちの前に城壁として立ちはだかり続けると思います。


私がど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場で見た中国人研究生たちは、中国残留孤児が日本への適応に苦しんだケースと全く同じ二つの問題を抱えていました。

国際格差は蜘蛛の糸 その17

ど田舎の田んぼの中の工場でものすごいグローバル化が進んでいたという個人的な体験談ですが、いろいろ書いているとキリがないので、印象的なエピソードをひとつだけ紹介したいと思います。


そこの工場で小耳にはさんだ話ですが、やってくる中国人研修生の質が年々低下しているということでした。昔はなんでも元モデルをやっていたというスラッとしたきれいな子までいたとかなんとか。


日本にいて同じ会社でずっと仕事をしているとピンとこないかもしれませんが、私はこの話を聞いた瞬間にすぐにその理由が分かりました。


おそらくそこの会社では研修生にずっと県内最低賃金程度の給料しか払ってこなかったことと思います。待遇が変わらないのになぜやってくる研修生の質が年々低下するのか?


国内事情だけを見てると、この原因は分かりません。問題の本質は中国の経済成長にあります。


外国人研修制度が積極的に利用され始めたのは、1990年代後半の頃からだと思います。正確な数字は分かりませんが、当時の中国人の平均月収は1万円くらいはあったかもしれませんが、まあ良くてもそれに毛が生えたくらいではないかと思います。


そんな時代に月10万円も中国に送金できたら、一体どれくらいの経済的価値があったのか?想像するだけでもうらやましいことです。


また税制の後押しもあります。どこの国でも大抵そうだと思いますが、高額の収入を得ると高額の税金が掛かってきます。今の日本だと年収2000万円くらいあっても、手取りになると4割近く少なくなるようです。


一方、日本で中国人研修生が中国水準では高額の収入を得ても、日本基準だと低収入になり、税金もさほどかからない。


つまり昔の中国人研修生って、おそらく感覚的には、年収2000万円もあるのに、手取りでも1800万円も残るといった感じだったのではないでしょうか。ブローカーへの借金を払った後、日本での生活費さえ削れれば、現金つかみ取りみたいな仕事している感覚だったのでしょう。


まさに黄金の国ジパングです。


そりゃモデルだって辞めて来るわな。


(もっともこれももうふた昔くらい前の話ですけどね)

国際格差は蜘蛛の糸 その16

安月給できつい仕事を長時間やらされるというと、現代の女工哀史のようにも見えますが、意外な側面もあります。


社内での立場がとても強くなるのです。


中国娘たちの独壇場となっているような部署に派遣やパートの日本人女性が送り込まれても中国娘にいじめられて、ものすごい勢いで辞めてしまいます。中には社員としてせっかく新卒で入ったのに一ヶ月もたなかった女の子もいました。


そこの工場は相当早い速度で機械を動かしているので、流れ作業的なパートでは、前の人間がヘマをすると後ろの人間にしわ寄せが来ます。


ミスすると、キ○ガイのような奇声を上げる中国娘に数多くのかよわい大和撫子が虐殺されていくを見ました。


他人事みたいに私が書けるのは、男のため仕事内容が異なり、彼女たちの製造ラインに加わらなくてもよかったからです。


「工程管理の人は何も(中国娘に)言ってくれない」と日本人女性たちはボヤいていましたが、クネクネする中国娘の色仕掛けにアホな男たちが引っかかっているとは一概には言えない面があります。


日本人女性は、給料が高いうえに、よく休むし、身体能力も低い。


中国娘は、給料が安いのに、休まずいくらでも残業するし、身体能力も高い。


どちらが会社にとって有用な人材かは一目瞭然ではありませんか。


派遣やパートの日本人女性の何人かぐらい欠けてもどうってことはありませんが、中国娘なくしては製造現場の業務が全く成り立たないくらいに会社が依存している、まさに日本の中に中国があるといった状態でした。


私もそういう現状を見て、高い給料取るだけが唯一の仕事の選択肢ではないのだなと初めて思いました。


能力や実績以上に給料が高くなるとクビになりやすくなる一方、安い給料でよい仕事をする人間をクビにできる会社なんてあるわけありません。どこの会社でも変わらない普遍的な真実だと思います。

国際格差は蜘蛛の糸 その15

特殊な熟練を必要とするわけではありませんが、誰でもできるわけではない仕事を任されている中国娘たち。


しかし、彼女たちの給料は激安です。「給与明細落ちてたから見ちゃったよ」という人から聞いたのですが、県内最低賃金程度だったそうです。


とはいえ、実際の総支給額ではそれほど安くなるわけではなく、フルタイムのパートのおばちゃんなんかよりもずっと給料取る中国娘たちはザラにいると思います。さて、どういうカラクリか?


私はそこの工場では午後から夜半にかけて9~10時間くらい働いていたのですが、働きはじめの頃、お昼に見かけた中国娘が夜7時くらいになってもまだ現場に入っていこうとしているのを見かけました。


「おや、随分遅くまで働くんだな」


多分彼女たちは朝からいただろうから私はそう思ったのですが、後で聞いてみると、朝7時くらいから夜の10時くらいまで働いているそうです。


「ええっっ!!!(唖然)」


研修生の年次によって労働時間は変わるため、もっと短い時間しか働かない時期もあるようですが、逆に研修生の入れ替わりで欠員がでる時期にはさらに労働時間が伸びることもあるそうです。


明らかに労働基準法の制限を超えた労働時間ですが、会社も中国娘もお互いにwin-winの関係ですので、横から口を挟む性質の問題ではないのかもしれません。


でも、立ったまま寝てる奴とか結構います(恐)


しかし、そこはグローバル化を絵に描いたような会社で、私がいたわずか一年半の間にも変化が起こり、当時の円安人民元高の影響か、ベトナム人研修生が新規に参入してきて、中国娘たちの労働時間はどんどん奪われていくことになるのでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その14

私が初めて経験することになった冷凍食品の製造現場では、日本人と中国人がミックスされて働いていましたが、パートによっては異様に中国人比率が高いところがありました。1:9とか2:8とか言ったように。


これはつまり若くて手先の器用な女性しかできない仕事を中国娘たちがまかされているということになります。


立ち話で社員の方に聞いたのですが、そこの会社の製造マシンは、メーカーの推奨速度を遥かに上回るスピードで動かしているそうです。


結局、冷凍商品の製造会社はそこしか経験しなかったので、私には比較ができないのですが、確かに速そうでした(汗)


だって、日本のお姉さん、おばさんたちがそこに入ってもできずに他のパートに回されるということが頻繁にありましたので。


「この会社はアスリートでも養成するつもりなのか?」


多少オーバーな表現ですが、そんな風に思いながら、彼女たちの働きぶりを見ていました。

国際格差は蜘蛛の糸 その13

鉄板が飛び交う工業系の製造現場に比べたら、冷凍食品の製造現場なんて子供の遊びみたいなもんだろ。


と勝手に私は妄想していたのですが、完全な勘違いでした。


今はトヨタに期間工に行ったら、給料いくらぐらいかまでネットで調べられる時代です。事前に食品系工場の実態について調べておけばよかった……。


さて、食品系の製造現場のきつさは、その単純肉体労働にあります。


工業系の製造現場だと、重量物はとても人間の持てる重さのものでないことが多いので、天井クレーン等を使って移動します。しかし、食品系の工場だと、中途半端な重量の原材料をすべて手持ちで運ばないといけないんですね。(もちろんハンドリフトくらいは使えますけどね)


本当に人足仕事です。


多少オーバーな表現になりますが、戦前、満州の大連港などで、荷積みなどをしていたクーリー(苦力)はこんな仕事を延々とやっていたのかと想像しました。


私はやらなくてもよかったのですが、同じ派遣やパートのおじさんの中には、延々と土方のようにスコップで食材のネタをあっちからこっちへと移すだけの仕事を何時間、何日、何ヶ月でもやっている人もいて、「世の中にはこんな仕事もあるんだ」と感慨深く思ったこともあります。


もちろんきついのはおっさん連中だけではありません。中国娘たちの職場も大変なものでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その12

アルバイト気分で勤務することになったど田舎の田んぼの中にある工場が若い中国娘で溢れかえっていたという話の続きです。


彼女たちの正体は、外国人研究生という名目の低賃金労働者です。「研修生」とはいえども、わざわざ外国で研修する必要が無い程度のロースキルの仕事が大半です。


私の住んでいるど田舎でもスーパーやショッピングモールで中国語が飛び交うのを聞くようになって久しいですが、彼女たちはこういうところで働いていたんですね。


外国人研修生を受け入れられる数は、事業者が加入している雇用保険の数によって決められるそうですが、私が住んでいる近辺の冷凍食品製造会社はどこも限度枠いっぱいまで外国人研修生を受け入れているようです。


可能なら製造現場全体を外国人にしたいと経営者たちは思っているかもしれません。


私が働いていた頃は、多少平均年齢が上がりつつあったようですが、昔は本当に20歳前後の若さの中国娘ばかり受け入れられていたそうです。


少子化の波はど田舎にも押し寄せてきていますので、これだけの若い娘たちが工場内で働いている姿は壮観です。普通だったら、これだけの数の若年女子をこのど田舎で集められるわけがない。


私も今回初めてやってみるまで知らなかったのですが、冷凍食品の製造現場の仕事ってかなりキツイんですよ。

国際格差は蜘蛛の糸 その11

純文学風に川端康成の『雪国』の冒頭の一句、


「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」


に例えると、


私がど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場で見た光景は


「階段を降りるとそこは中国であった」


といったものでした。


初めての出勤日、現場入りしたものの、自分の仕事場が分からず、


「すいません。○号ラインってどこですか?」


と近くにいた人に後ろから尋ねかけると、何か様子が変だ。


「ん?……。あれっ」


よく見ると、名札が中国ネームです。早口で言った日本語なんて通じてなかったのです。


冷凍食品の工場の製造現場は、モジモジくんみたいな格好で、目だけ出しているような状態なので、パッと見では中国人か日本人かなんて分かりません。


しかし、改めてよく見ると、どこもかしこも若い中国娘ばかりです。下手すると、日本人よりも中国娘の方が多いんじゃないかと錯覚するくらい。


「なんだここは……。中国かよ」


工場内の注意書きがどれも日本語と中国語で併記されています。空港かよ(笑)


この田んぼの中の冷凍食品工場では、様々なことが起こりましたし、いろいろな話を聞きました。


グローバル化の波は私の住んでいるど田舎にも露骨に押し寄せていたのですが、私は単にそれを目の当たりにする機会がなかっただけなのでした。
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