残念ながら江戸時代や明治時代にはインターネットがまだなかったので、当時のブログや掲示板を見ることはできません。
しかし、今はすでにそういうものが存在します。
紙、鉛筆、ろうそく、羅針盤、パソコン、自動車、保険、etc……、一度社会に登場した商品やサービスはその重要度は変わっても、この世の中からすっかり消えてなくなることはありません。
ということはつまり30年後、300年後、1000年後、私たちが自分では「またしょーもない記事書いて」と思っているブログを興味津々で未来の人たちが読むということはありうる話です。
今からすれば何でもない情報、知識、経験、写真、風景などが30年後、300年後、1000年後の人たちからすると、ものすごく貴重で興味深いものになっている。
普通の人は海老蔵さんみたいにチラッとブログを開設してみたら、アクセス爆発なんてことはありません。
しかし、江戸時代のブログなら、東村の田吾作さんみたいな素人が書いたブログでも読んでみたいと思いませんか?
実は今はまだ江戸時代で誰もブログを書いている人はいないと想定してみましょう。ライバルは皆無です。
「いや、ブログなんてアホみたいに溢れかえっているやろ。何を眠たいこといっとんねん」
関西弁でどつかれそうですが、株式投資でよくありがちな場面を想定して考えてみましょう。
しかし、今はすでにそういうものが存在します。
紙、鉛筆、ろうそく、羅針盤、パソコン、自動車、保険、etc……、一度社会に登場した商品やサービスはその重要度は変わっても、この世の中からすっかり消えてなくなることはありません。
ということはつまり30年後、300年後、1000年後、私たちが自分では「またしょーもない記事書いて」と思っているブログを興味津々で未来の人たちが読むということはありうる話です。
今からすれば何でもない情報、知識、経験、写真、風景などが30年後、300年後、1000年後の人たちからすると、ものすごく貴重で興味深いものになっている。
普通の人は海老蔵さんみたいにチラッとブログを開設してみたら、アクセス爆発なんてことはありません。
しかし、江戸時代のブログなら、東村の田吾作さんみたいな素人が書いたブログでも読んでみたいと思いませんか?
実は今はまだ江戸時代で誰もブログを書いている人はいないと想定してみましょう。ライバルは皆無です。
「いや、ブログなんてアホみたいに溢れかえっているやろ。何を眠たいこといっとんねん」
関西弁でどつかれそうですが、株式投資でよくありがちな場面を想定して考えてみましょう。