中国近代期には大量の出土文献と呼ばれる新たな文献資料が研究の対象として登場しました。


1900年に敦煌市の莫高窟から大量の唐代の仏教経典などの写本が発見された事件は井上靖の小説『敦煌』の材料にもなりました。


また、1899年に王懿栄という人物が漢方薬として薬局から「竜骨」と呼ばれるものを購入して服用していたところ、粉末にする前に表面に文字の書いてあるのに気づき、大量に薬局から買い集めるようになりました。


「竜骨」と呼ばれていた漢方薬は、実は牛の骨や亀の甲羅に殷代の文字が刻まれたものだったのです。


古代殷王朝の宗教的、文化的中心地であった殷墟では、もっと早くから、甲骨に文字の刻まれたものが発見されていたようですが、価値の分からない農民たちによって大部分は捨てられていたようです。


その内の一部がなんと漢方薬の一種として薬局に回っていた。


なにはともあれ、1900年前後に甲骨文字を収集する研究者が続出し、王国維のパトロン的学者であった羅振玉(1866-1940)もその一人でした。


羅振玉が大量に買い集めた「竜骨」もとい、甲骨を直に手に取って研究する機会に王国維は恵まれました。


甲骨文字の実物を私も上海博物館で見たことがあります。


殷墟の甲骨は既に掘り尽された状態で新たな発掘はもうないようです。また、ほとんどの甲骨は既に博物館に収められてしまって、民間に収蔵するものはほんのごくわずか。


少し検索すると、2004年に二十個ほどの甲骨が5280万元で落札されたというニュースを見つけました。


気の毒なのは、当たりくじをみすみす手にしながら捨ててしまっていた河南省安陽市の農民たちでしょうか?