荒れ果てた南京の庭園を買い取り、『随園』と名づけて生涯その改修に励んだ袁枚。


ただの道楽に見えたこの改修作業も袁枚の優れた経済感覚から、決して浪費の類にはなりませんでした。


袁枚は随園に外壁を設置することをせず、人の居住地域以外は自由に外部の人が出入りできるようにしておきました。


否が応にも随園の名声は高まります。


それだけでなく警備の人員を置いていたわけでもないのに袁枚は盗難に会ったことがなかったそうですが、これは見物客が勝手に警備員の役割を果たしてくれていたものではないかと想像します。


まさに一石二鳥。


また随園の周辺の山林や田畑、池などを購入し、十三戸の人々に貸し与えて、地代を受け取るだけでなく、そこから得られる食料品も受け取っていました。


新鮮な肉や豆腐は外部に買いに行く必要があるけれど、それ以外は、ほぼ自給自足。


どんなに美食を尽くそうともお金が出ていくことはありません。


経済観念の異常に発達した文人であったと袁枚は言えます。