司馬遼太郎は小説家とはいえ、ものすごい量の文献を収集して読んでいたそうで、彼が執筆しようとする分野の資料を集め始めると古本屋からその関連の書籍が消えるとまで言われました。
もっとも細川藤孝と黒田官兵衛のエピソードが史実か創作かまでは分かりませんが、作中に描かれた官兵衛の推測は確かに当たっていました。
織田家には早くから後々天下にその名を知られることになる武将が群雲のごとく満ち満ちていました。
後の加賀藩百万石の祖となる前田利家もいれば、早死にしなければどれくらいの功績を残しただろうと思われる蒲生氏郷、天下を指南できるとまで言われた名人、堀秀政などなど。
結局、織田家の中でも異能の天才である秀吉がそれらの人材を統合して、天下統一を成し遂げることになりますが、織田家自体が半ば無名のときに他国においてそれらの武将の名を知ってる人など皆無に近かったと思います。
「木下藤吉郎秀吉……。はあ?」
秀吉の名が全国的なものになったのもおそらく明智光秀を討ったくらいところで、それまでは世間的には織田家の有力家臣の一人というくらいの認識ではなかったかと思います。
ましてや『播磨灘物語』の中で、細川藤孝と黒田官兵衛がこれこれ密談したとかいうときの、織田家が美濃、尾張の二カ国をやっと収めた段階では無名も無名、二人とも秀吉の名など聞いたこともなかったかもしれません。
しかし、官兵衛はおそらく織田家には秀吉のような人間がいるに違いないと見た。
と、ここまで考えたところで現代に目を転じてみましょう。
もっとも細川藤孝と黒田官兵衛のエピソードが史実か創作かまでは分かりませんが、作中に描かれた官兵衛の推測は確かに当たっていました。
織田家には早くから後々天下にその名を知られることになる武将が群雲のごとく満ち満ちていました。
後の加賀藩百万石の祖となる前田利家もいれば、早死にしなければどれくらいの功績を残しただろうと思われる蒲生氏郷、天下を指南できるとまで言われた名人、堀秀政などなど。
結局、織田家の中でも異能の天才である秀吉がそれらの人材を統合して、天下統一を成し遂げることになりますが、織田家自体が半ば無名のときに他国においてそれらの武将の名を知ってる人など皆無に近かったと思います。
「木下藤吉郎秀吉……。はあ?」
秀吉の名が全国的なものになったのもおそらく明智光秀を討ったくらいところで、それまでは世間的には織田家の有力家臣の一人というくらいの認識ではなかったかと思います。
ましてや『播磨灘物語』の中で、細川藤孝と黒田官兵衛がこれこれ密談したとかいうときの、織田家が美濃、尾張の二カ国をやっと収めた段階では無名も無名、二人とも秀吉の名など聞いたこともなかったかもしれません。
しかし、官兵衛はおそらく織田家には秀吉のような人間がいるに違いないと見た。
と、ここまで考えたところで現代に目を転じてみましょう。