蘇軾によると、漢の劉邦の勝因と楚の項羽の敗因は極論すると、忍ぶと忍ばざるの一点にあった、つまり忍耐力の有無だけがその勝敗を分けたといっています。


項羽は三国志に登場する呂布のスケールをさらに大きくしたような稀代の猛将で、劉邦はたえず項羽の本隊から逃げ惑うような戦いぶりしかできません。


楚軍の強さに引き換え、漢軍は雑軍の集まりといった感じで、項羽の本隊とまともに戦うと常に負ける。


しかし、漢軍は負けても負けても懲りずに逃げ続けて、謀略や外交政策、楚軍の補給路を絶つようなゲリラ戦略で徐々に楚軍の勢力を剥ぎ取っていきます。


項羽の鋭鋒を避けながら、劉邦は忍耐に忍耐を重ねる日々が続きますが、次第にその成果が現れ始めてきます。


北方に遊軍として送り出した韓信は、斉国を攻略して一大勢力となり、また離間の計によって、楚軍の軍師、范増は項羽の元を去ります。


当初、見るからに強大であった楚の勢力は徐々にほころびが出てくるようになります。


一方、項羽には忍耐力が欠けていたと私でも感じる象徴的なエピソードがあります。