複利で計算する株式の100年200年チャートがとんでもない暴騰チャートになっているのは、株式投資の本でよく見かける話です。


実際に直近100年200年の庶民の生活水準の向上を鑑みると、あれは学説というものではなく、ただの現実なのだろうと思います。


つまり、100年200年単位の投資となると、個人では寿命が尽きて相続税のため複利運用はできないし、それ以前に短期の投機的な投資で損をしてしまう人の方が圧倒的に多いので、この現実が見えづらくなる。


しかし、たとえ株式市場に関わってなくても我々はみな先祖代々の経済成長の恩恵に預かっています。


例えば、私の父方の祖父は、農業と鍛冶屋の兼業、母方の祖父は鍛冶屋だったそうです。


今からすると、鍛冶屋なんかが職業としてなりたっていたなんてことがまず想像できないのですが、機械化が進む前、かつ国民の過半が農業に従事していた時代にはそれが成立したのでしょう。


生きていたらともに100歳以上、まあ生きているわけはありませんが、100年以上前に私も生まれていたら、祖父たちと似たような人生を歩んでいたことでしょう。


義務教育くらいは受けるかもしれませんが、それが終われば、農業に従事し、副業で鍛冶屋とかを手掛ける。生活のために早くから結婚して、子沢山で自分の時間は無し。文字はよめても書籍とは無縁の生活で、海外はおろか日本国内もほとんどいったことのない場所ばかり。


それはそれで楽しいところもある生活でしょうが、おそろしく見聞の狭い人生になったこととは思います。


それが祖父たちよりも単に100年以上後に生まれたおかげで、少子化の恩恵に預かって大学に進学。それにも飽きたらず、中国へ留学。その後、職を転々とする中年フリーターになっても特に衣食住にまで困るようなことはない。


日本全体が豊かになってなければ、ありえない現実です。


そういう歴史の流れが見えてないから、ハロワに行って、「どれもこれも薄給だな。ちっ」としか思えないわけですが、昔なら薄給以前にそもそも仕事すらなかったわけです。


邱永漢先生の本によく書いてある、「今は仕事はいくらでもあるし、食うに困らない時代になった」というのは、つまりそういうことを言っているのだと思います。