日本人として日本で生きていくなら、「労働力」を売れば、技術が乏しくても高齢で体力がなくてもグローバル的に見れば、結構なお金を稼ぐことができます。
もちろん高い技術力や身体能力があった方がより稼げるのは確かですが、労働力不足の日本ならノースキル、高齢でもそれなりに売れる「労働力」はあるからです。
日本の衰退を煽るような記事もよく見かけますが、日本がこれだけ産業化されて仕事が満ち溢れるようになったのは、10年、20年くらいの成果ではなくてそれこそ100年以上前からの積み重ねの結果なので、今すでに成人した人にとっては無用の心配でしょう。
幕末の維新新政府軍の軍事作戦を仕切った大村益次郎について描かれた小説ですが、寄り合い所帯の新政府軍の中で薩摩藩と長州藩を除いてほとんどの藩が金欠で、ものの役に立たなかったと述べられています。
ではなぜ薩摩藩や長州藩に資金力があったかという話になるのですが、これらの藩では密貿易や殖産興業を盛んにやっていて、幕末にも関わらず、今日的な意味での商工業が他藩に比べてかなり進展して豊かになっていたからです。
また下級武士が藩政の実権を握ったり、長州藩の奇兵隊に至っては、農民や商人の子弟も混じっていたりと、身分制もかなり崩れてきていました。これも現代の社会構造に近い。
幕末の藩というのは、今日的な意味での県とは全然違っていて、藩=小国家と理解した方が正確です。つまり、国が違えば、経済力の差があるのも当然と理解できます。
単純農作物の米の経済的価値なんて、時間の経過ととも低下していっているわけですから、江戸初期の頃から何もやってなければ、どんどん貧しくなっていって当然です。
おまけに「親父は家老だから、俺も家老になって当然じゃ」みたいな流動性のない体制下では誰も真剣に働こうとするわけがありません。
長州藩に生まれれば、大村益次郎のように親が村医者でも革命軍の軍配を握ったり、または土百姓の子でも奇兵隊に入って先祖代々の武士を打ち破ったりできる可能性がある一方、遅れた藩に生まれたら、そんなチャンスは皆無になるわけです。
生まれた国で全然運命が変わってしまうということです。
外国を悪くいうつもりはありませんが、例えばインドで働いても時給は嫌になるくらい安いでしょうし、今でもカーストが根強く社会にまとわりついていると聞きます。
やっぱり私たちは恵まれています。
もちろん高い技術力や身体能力があった方がより稼げるのは確かですが、労働力不足の日本ならノースキル、高齢でもそれなりに売れる「労働力」はあるからです。
日本の衰退を煽るような記事もよく見かけますが、日本がこれだけ産業化されて仕事が満ち溢れるようになったのは、10年、20年くらいの成果ではなくてそれこそ100年以上前からの積み重ねの結果なので、今すでに成人した人にとっては無用の心配でしょう。
幕末の維新新政府軍の軍事作戦を仕切った大村益次郎について描かれた小説ですが、寄り合い所帯の新政府軍の中で薩摩藩と長州藩を除いてほとんどの藩が金欠で、ものの役に立たなかったと述べられています。
ではなぜ薩摩藩や長州藩に資金力があったかという話になるのですが、これらの藩では密貿易や殖産興業を盛んにやっていて、幕末にも関わらず、今日的な意味での商工業が他藩に比べてかなり進展して豊かになっていたからです。
また下級武士が藩政の実権を握ったり、長州藩の奇兵隊に至っては、農民や商人の子弟も混じっていたりと、身分制もかなり崩れてきていました。これも現代の社会構造に近い。
幕末の藩というのは、今日的な意味での県とは全然違っていて、藩=小国家と理解した方が正確です。つまり、国が違えば、経済力の差があるのも当然と理解できます。
単純農作物の米の経済的価値なんて、時間の経過ととも低下していっているわけですから、江戸初期の頃から何もやってなければ、どんどん貧しくなっていって当然です。
おまけに「親父は家老だから、俺も家老になって当然じゃ」みたいな流動性のない体制下では誰も真剣に働こうとするわけがありません。
長州藩に生まれれば、大村益次郎のように親が村医者でも革命軍の軍配を握ったり、または土百姓の子でも奇兵隊に入って先祖代々の武士を打ち破ったりできる可能性がある一方、遅れた藩に生まれたら、そんなチャンスは皆無になるわけです。
生まれた国で全然運命が変わってしまうということです。
外国を悪くいうつもりはありませんが、例えばインドで働いても時給は嫌になるくらい安いでしょうし、今でもカーストが根強く社会にまとわりついていると聞きます。
やっぱり私たちは恵まれています。