相変わらず投資とはあまり関係なさそうな昔のことばかり調べています。
さて、最近は中国残留孤児という言葉を聞くことはほとんどなくなりましたが、私が子供の頃はまだ新聞に顔写真と名前が載ってたりして、戦前の敗戦の最中、ソ連軍が侵攻してくる満州国から逃げ遅れて中国人の養子となったりして中国で生活せざるを得なかった人たちの日本での肉親探しが行われていました。
今では中国残留孤児の帰国作業自体はあらかた終了したのかもしれませんが、その後の彼らの日本での生活はあまりスポットライトを浴びることはありませんでした。
彼らは中国で幼少青年期を過ごしたので、遺伝子的には日本人であっても、教育や文化的には中国人となって、壮年期になってから日本にやってくることになりました。
つまり、これは一種の「中国人」移民と見ることもできます。日本語能力に乏しく、中国人の養子といっても単なる労働力とみなされて、満足な教育を受けられなかった例もあり、彼らの多くが帰国後の日本社会への適応に苦労しているようです。
単純労働なら「誰でも」できるから、日本人の仕事が移民に奪われるというのは、かなり短絡的な発想であることが分かります。
さて、最近は中国残留孤児という言葉を聞くことはほとんどなくなりましたが、私が子供の頃はまだ新聞に顔写真と名前が載ってたりして、戦前の敗戦の最中、ソ連軍が侵攻してくる満州国から逃げ遅れて中国人の養子となったりして中国で生活せざるを得なかった人たちの日本での肉親探しが行われていました。
今では中国残留孤児の帰国作業自体はあらかた終了したのかもしれませんが、その後の彼らの日本での生活はあまりスポットライトを浴びることはありませんでした。
彼らは中国で幼少青年期を過ごしたので、遺伝子的には日本人であっても、教育や文化的には中国人となって、壮年期になってから日本にやってくることになりました。
つまり、これは一種の「中国人」移民と見ることもできます。日本語能力に乏しく、中国人の養子といっても単なる労働力とみなされて、満足な教育を受けられなかった例もあり、彼らの多くが帰国後の日本社会への適応に苦労しているようです。
単純労働なら「誰でも」できるから、日本人の仕事が移民に奪われるというのは、かなり短絡的な発想であることが分かります。