「1987年の頃、中学校の数学教師だった俺の月給は100元だったんだよ。たった100元の給料で何ができる?友達とちょっと食事に行けばなくなってしまう。彼女もできないし、結婚だってできない」


「だから中学校の教師は辞めて、深センの工場に働きにいったのさ。そうするといきなり給料が300元になった。さらに半年後には600元になった。当時としてはそれは大したもんだよ。これなら彼女とも付き合えるし、結婚もできる」


と、語り始めたおじさんの年齢は50代くらいでしょうか?とすると、中学校の教師は最初の就職で、すぐにやめてしまったのかもしれません。


それと、1987年の100元がどれくらいの価値があったのか、気になったので、後から調べてみました。


当時の為替レートはおよそ1元=38.85円。現行レートよりも1元の価値が高いですが、月給はたった100元なので、月収約4000円ということになります。


大の大人が一ヶ月働いてたった4000円。しかも学校の先生で。


当時の日本の物価と比較すると、1983年に発売されたファミコンの定価が14800円でした。さらには、1987年に発売されたゲーム『ドラゴンクエストⅡ』の定価が5500円でした。


当時、ファミコンは子供のおもちゃとしては高級な部類だったと思いますが、それにしてもファミコンのソフト一つ買えない月給で中国の成人が働いていたと思うと、グローバル化が進む前の世界とはいえ、凄まじい話だと思います。


中国人の月収が3~4万円だった時代は、10年近く前の中国出張に頻繁に行っていたサラリーマン時代に工場労働者の給与明細を見たことがあったので知っていましたが、邱永漢先生の本に「中国人の月収は1万円」とよく書かれていても、ホンマかいなと正直思っていました。


なぜなら、それは自分が直接見た時代の話ではないからです。


しかし、月収1万円どころか5000円もなかったことを語る人に今回間近で接して、邱永漢先生の本に書いてある話は確かに過去存在していた世界だと実感するようになりました。


もしその頃に、中国に何らかの形で投資できていたら、今頃我々は王侯貴族はオーバーでもプチ富裕層には簡単になれていたことだろうと思います。


日本人がファミコンで遊んでいる間に、絶好のチャンスは過ぎてしまったようです。しかし、それを「逃した」ということに気づけたなら、それはひとつの進歩ではないかとも思います。