余談ですが、白タクのおじさんの奥さんも教師で、彼が中学校の教師で月給100元だった頃、小学校の教師だった彼女は、それよりも少し月給が低かったそうです。


奥さんは今でも教師として働いていて、月収は4000元程度だそうです。


白タクのおじさんの車はトヨタのカムリで、日本で雲助と賤称されるような悲壮感は全くありません。悠々自適の自営業者といった感じです。1980年代の中国では、多くの人は月収100元に疑問を持つことなく生活していたのでしょうが、そういう時代にいち早く深センに行ったおじさんは普通の人よりも少し勇気があったのかもしれません。


中国火車旅行 (角川文庫)
宮脇 俊三
角川書店
1991-09



最近読んだ本で、1985~1987年の中国の列車旅行記が書かれているのですが、この中にも都市労働者の月給が80~100元程度という話が出てきます。


本で読んだ内容と自分が直接聞いた話が符節を合わせたように一致する。これも一種の学問ではないかと思い、ワープアに転落したとはいえ、今後はこういう方向で研究していきたいと思うのでありました。


さて、ワープアに転落してもう当分中国に行くこともないだろうと思っていたところに、期せずして中国出張の仕事が入り、6年ぶりに中国入りしましたが、今回感じたことは、ネットの情報網が発達した結果、もう中国に直接行かなくても中国のことはかなり良く分かるということでした。


それはつまり中国との比較で日本の状況もよく分かるということになるのですが、日本の中にいても意識だけはグローバル化して、隣国中国の恩恵をいろいろと受ける方法があるのではないかとも考えるのでした。


それについてはまたいずれの機会に。