カモネギFX

株式投資、FXデイトレード、古書収集などをド田舎で行っている資産運用ブログです。

チャイナカモの優雅な新興国投資

再度、新興国株式へ乗り出す その3

久しぶりに中国株の状況をチェックしましたが、大分株価は低迷しているようです。中国株を本格的に見始めてから、実は三年程度しか経っていませんが、この間、何度か買い時と感じることがありました。


素人感覚ですが、今も買いで入るのにはかなりいいタイミングだと思います。もっとも、もっと下がるかもしませんよ。でも底値を待っていたらいつまでたっても買えません。


さて、新興国株式では中国株が一番初心者向きだと思います。新興国株式は国内の証券会社経由で買うと取引手数料がバカ高い国が多いのですが、中国株はかなり安いです。


後述しますが、ベトナムのサイゴン証券に口座を私は開設しています。一概なことは言えないのですが、ベトナム株投資は絶対に海外現地口座を使ったほうが良いと私は感じました。


一方、中国株はどうかというと、大昔の中国株投資の本を読むと、香港の証券会社に口座を開いて……、みたいな記事がありましたが、今は全くそういう話を聞きません。


多分、中国株については海外現地口座を開くメリットがあまりないんだと思います。


つまり、国内証券口座から一番気軽に投資できる新興国株式は中国株です。


昔は一般口座でしか中国株を買えなかったSBI証券でもとうとう特定口座で中国株を買えるようになりました。損益計算も証券会社がやってくれるので、国内株式と同じ感覚で投資できます。


さらには、中国株を新興国株式投資の第一歩としてお勧めできる理由はもう一つあります。

再度、新興国株式へ乗り出す その2

リーマンショックは分散投資があまり意味のないものであることを明らかにしました。レバレッジ投資家が多数いる現在では、一度大不況に陥ると誰かのロスカットがそのまた誰かのロスカットを呼び、換金できるものは何であれどん底まで売られてしまうからです。


幕の内弁当のように小分けした金融ポートフォリオを見て安心がる小市民は、弁当箱ごと地べたに叩きつけられる現実に耐えられるでしょうか?


「そういうことは当然起こりうる」


と理解できるようになったなら、私のように数字的な資産としては大打撃を受けたとしても知識と経験の面では進歩したと言えるのかもしれません。


さて、大不況のときには新興国株式への投資は、円高による現地通貨の下落と株価暴落の二重の責め苦を受けるので、投資ビギナーだと狼狽売りという自傷行為をしてしまう可能性が高いです。


「こんなに値下がりしたものが、元に戻るわけがない。やっぱり中国なんかに投資するんじゃなかった(涙)」


今からリーマンショック後の中国株のチャートを見ると空恐ろしいものがありますが、もう少し視線を現在に向けると、リーマンショック前の最高値すら遥か後方に置き去りにしている銘柄もまた多いことに気づきます。


つまり、ここ20年くらいで中国人の年収が倍々ゲームで増えていったことからも分かるように、経済成長の波に乗って、10倍20倍になった中国株は全然珍しくありません。


一方、ここ20年くらいの日本人の年収がジリ貧で減少しつつあることからも分かるように、経済成長の鈍化した日本では、ベンチャー企業などは別にしても、10倍20倍になった株式は一流ブランド企業の中にはほとんど見られません。


これは経済成長という地盤の差がもたらす結果かもしれません。


結論としては、大不況を乗り越えて、超長期で見れば、新興国株式への投資はやはり取り組む価値があるものだということが分かります。

再度、新興国株式へ乗り出す その1

最近はわけわかめな記事ばかりですが、一応株式投資ブログです。


さて、日本だと雀の涙のようなお金でも新興国にその「円」を持っていけば、実は結構な価値を持つ現地通貨に早変わりする。


そこで、日本で稼いだお金を新興国に持っていき、まったりと暮らすのが、俗にいう「外こもり」ですが、これは時間の経過とともに日本と新興国の経済格差が縮小していく流れの中ではどんどん苦しくなっていくライフスタイルです。


それよりかは、日本でワープアと蔑まれようともコツコツと働いて小金を貯めて、さらにコツコツと新興国の株式に投資して、時間の経過とともに新興国の人々が豊かになるつれて、自分の生活もどんどん楽になっていくのを狙おうというのが、このブログの趣旨です。


さて、昨年のランド円のスプレッド拡大事件で新興国株式は投げ売りせざるを得ず、一度ほとんど丸裸になりました。


しかし、一方で株式投資の含み益が自分を致命傷から救ってくれたので、株式投資自体はずっと続けていかなければいけない性質のことです。


そう、ダルマおこしのように何度でも何度でも……。


収入が失業保険レベルに落ちてしまっている現状では、それもなかなか難しいのですが、下駄替わりに使っている中古車の入れ替えが思ったよりも少額で済んだので、再度新興国株式へ乗り出すことにしました。

国際格差は蜘蛛の糸 その23

このテーマでは最後になりますが、以下余談です。


現代日本における貧困の最大の原因は「働かない」ということに起因することがほとんどのようです。


まともに働いていて貧乏になるのはちょっと難しいくらい現代の日本は豊かになってしまいました。


今の日本人が「貧乏で……」とか枕詞にように使う場合は、その貧乏の基準が海外やあるいは昔の日本とはかなりズレていて本質を見誤りそうになります。


貧乏だけど、きちんと三食食べれていますよね。


貧困でも毎日同じ服を着ているわけではないですよね。


えっ、貧しいのにスマホやパソコンを持っているんですか?


等等。


最近は戦前や昭和初期頃のことについて書かれた本を読むことが多いですが、わずか百年も経ってない数十年前の貧乏がいかに現代のそれとかけ離れて本当に貧しいかに驚かされます。


本当に食べるもの着るものに事欠き、家族の誰かが病気になったら、一環の終わりだと怯えるような性質の貧乏です。


つまり、仕事があり余っていて人手不足の現代日本においては、とにかくなんでもいいから働いていれば、最低限の生活は保障されるし、仕事や投資で何度失敗しても、再起は可能であると気づけることが重要だと思います。


邱永漢さんの本を読んでいると、「労働貴族」という言葉が出てきました。

1997香港の憂鬱
邱 永漢
小学館
1997-03



中国が1980年に深セン市を経済特区に指定したときに、その給与の高さに労働者が殺到し、途中から入境の制限がされるようになったそうです。


つまり経済特区の中に先に入ることができたものは、「労働貴族」になったようなものであるということなのですが、まさに現代の日本人も似たような状況にあると思います。


しかし、狭い世界に閉じこもっていて、右も見ても左を見ても貴族ばかりいるとなると、誰も自分が貴族であるとは思わなくなるという現象が起こります。


そこを一歩踏み込んで、歴史とグローバルな視点から、自分たちが「労働貴族」であると気づけるならば、行動の選択肢が大きく増えるはずです。

国際格差は蜘蛛の糸 その22

言語能力以外にも外国人労働者にとって日本市場参入への大きな障壁となるものがもう一つあります。


それは彼らが日本企業でのビジネス上の習慣や業務上の常識といったものを身につける機会を本国で持っていないということです。


これは単なるビジネスマナーのような儀礼的なものとはまた違った感覚で、日本で働いたことがある人ならまるで「空気」のように共有しているようなものです。


言葉で説明するのは難しいので、昨年私が働いた冷凍食品製造工場のケースで一例を示します。


そこの工場は24時間稼働ではないのですが、工場を閉めているのが、ほんの3~4時間といったくらい長時間稼働しています。


製造現場の社員は二交替で勤務しているのですが、夜間の勤務体制はやはり若干手薄になりがちです。そこで部署によっては、管理職が常駐してなくて、中国人研修生と若干の日本人のパートさんと派遣だけで回しているところもありました。


その部署にちょっと私も回されたときのことなのですが、多少仕事が手薄になった中国人研修生が座る場所を見つけてどっかり腰をおろして眠り始めたのです。


しばらくすると、同じく仕事が手薄な中国人研修生がまたもどっかり腰をおろして眠り始めました。


わずか2メートルも離れないところでは、あたかもアスリートの如くせわしなく働いている同僚がいるのに……。


私は最初具合が悪いのかと思いましたが、「単に眠いから寝ているのだ」ということが次第に分かり、肝を冷やしました。そんな場面にいたら、ただの派遣のおじさんなのに管理責任を問われかねません。


もっともそういう人間しかいない場面だから、彼女たちは寝たのでしょうが、一番長く寝た奴はたっぷり30分以上は寝ていました。


中国人もピンからキリまでいますし、中国企業も日本企業よりはるかに技術もお金も持っているところもあります。


だから「中国なんて……」というステレオタイプな見方は意味がないのは間違いないのですが、日本人的常識からは理解できないことが外国人労働者と仕事していると起こります。


この類のケースを中流サラリーマンで中国の工場に頻繁に出張していたときも数多く目にしました。


これは個人の素質の問題というよりも、単に日本のような環境で仕事をしたことがないというだけのことだとは思います。


しかし、言葉もあまり通じない上に、この類のような行動を取られると、経営者にしろ一社員にしろ、「なんなのかね、あの人達は……」という感情が芽生えるのは仕方のないことではあります。


つまり、いかに労働賃金が安かろうとも、ただそれだけで日本の労働市場を外国人が支配できるということには少なくとも近い将来では到底ならないだろうと私は思っています。


日本の労働市場の城壁は中にいる私たちが気づいてないだけで相当分厚いのです。

国際格差は蜘蛛の糸 その21

鍵は受け入れる中国人研修生の「規模」と「集中」にありました。


研修生といっても会社の様々な部署にまんべんなく割り振られるわけではなく、すべて製造部門に集中しています。


となると、工場で働く従業員の中では、半分まではいかないにしてもそれに近いくらいの数の中国人研修生が働くことになります。


しかもパートによっては、8割、9割が中国人研修生で占められるところもでてきます。


日本語もあまり通じない外国人労働者がそんなにたくさん溢れかえったら、現場は大混乱に陥るんじゃないかと思いますよね。


しかし、事実は逆で増えれば増えるほどうまく仕事がこなせるようになるのです。


どういうカラクリか?


中国人研修生の素質は本国で多少選抜されているとはいっても千差万別で、非常に機転の利く賢い子もいれば、延々とヘタウマ日本語を喋り続けるおしゃべり娘もいたりと本当に性格と能力はバラバラです。


当然日本語のあまりうまくない子や鈍臭い子も混じっていることになるのですが、集団になるとある程度まとまってチームプレーが発揮されるようになります。


つまり、仕事のよく出来る子が出来ない子に教える、あるいは日本語が比較的出来る子ができない子に伝達する、または去年来た先輩が今年来た後輩に指導するなどといった現象が見られるようになるのです。


結構難しい人間関係もあって、美しい同胞の助け合いとまではいかないでしょうが、原理的には間違いないと思います。


予想外のことですが、中国人研修生の数が増えれば増えるほど、単純に人件費が下がるというだけではなく、中国人部隊のお仕事遂行能力は高まるという二重のメリットが出てくるのです。


「中国なんか大丈夫なのかよ?」と疑心暗鬼で片足でつっついているだけよりかは、いっそ中国と心中するつもりで抱きついてしまえば、私が見た冷凍食品製造会社のように社屋も工場も新しくなってしまうといったことでしょう。


もっとも、そんなことができる日本企業はそれほど多くないと思いますが。

国際格差は蜘蛛の糸 その20

マスコミは真実よりも読者の読みたがる記事を書く傾向があります。


「中国」というと胡散臭いとか危なそうとかいうイメージを読者が持っていると、それを満足させるような内容の情報を律儀に提供してくれます。


最近だと「中国暴落」とか「チャイナリスク」とかいった感じの記事です。


マスコミも商売の一つですから、読まれない記事を書いたり、好まれない情報を提供したりはしないということでしょうが、そのため実態は結構かけ離れていることもしばしばです。


私が書いたほんの断面的な記事からでも想像はつくでしょうが、ど田舎の田んぼの中にある冷凍食品製造会社の業績はうなぎのぼりで伸びています。


私が子供の頃はもっとボロい社屋や工場だったのですが、いつの間にか建屋はどんどん綺麗になってました。


「ハローワークの求人が365日消えたことのないブラック企業なのになんでかな~」


とは近所を通るたびに漠然と思っていたのですが、今回潜入体験してその理由がよく分かりました。


「日本と中国の労働賃金の格差を利用してボロ儲けしてるんじゃん」


他人(他社)が儲けた話なんて、聞いて気持ちいいものではありませんから、こういう真実はあんまり世間に広まりません。


実際どこの会社もこの冷凍食品製造会社のようにできるかというとそうではありません。


移民が日本の労働市場の城壁を乗り越えるのが困難なのに比べると、遥かに簡単なものに思えるのですが、中国の城壁を乗り越えられない日本人もまた多いのです。


ではなぜど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場では日本語もろくにできない中国人研修生を使ってうまく業務を行わせることができたのでしょうか?


全く大した話ではありません。

国際格差は蜘蛛の糸 その19

日本で義務教育を終えただけくらいの学歴しかなくても、会社での日常業務に必要な程度の日本語はほぼ完璧に使いこなせますよね。日本人同士なら意思の疎通に困るということはまずありません。


「当たり前じゃないか。そんなこといちいち書くお前はアホか」


と言われそうですが、外国人にとってはその当たり前のレベルの日本語を使いこなせるようになるのは至難の技です。


私がど田舎の田んぼの中の工場で会った中国人研修生の日本語のレベルは相当低かったです。


私は中国に留学して外国語を学ぶ難しさを身をもって知っていますし、また中国の状況もいろいろと知っているので、彼女たちにある程度寛容になれます。(さらには中国語も通じますし)


ただ、そういうバックグランドのないコテコテの日本人だと彼女たちのぶっきらぼうな日本語や自身の細かい指示が伝わらないことにカチンとくることも多いと思います。


現代ではよほど特殊な業態でない限り、企業活動の最大のコストは人件費ですので、どこの企業も機械化、自動化できるところは限界までそれを推し進めています。


その中で人間が果たす役割は機械化や自動化の及びようもない隙間を埋めることがメインになります。


例え冷凍食品の製造工場のような単純労働作業に見える職場でもそれなりの状況判断やコミュニケーションが必要とされます。


つまり言葉も満足にできないロボットのような人間は、古代社会の土木作業くらいならいざしらず、現代の高度に機能化された職場ではものの役に立たないのです。


もちろん雇用が国内に限られていたときには当然こんな言語能力の問題は存在していませんでした。これが今後も外国人労働者の日本参入の大きな障壁になるだろうと思います。


日本で働くことって実は誰でもできるわけではないんですね。


ところで、私が体験したど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場は、この外国人労働者の言語能力の欠如の問題をうまくカバーしていました。


たいしたことではないのですが、目からうろこでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その18

大分回り道しましたが、本題に戻ります。ど田舎の田んぼの中の工場に、移民のミニマム版とでもいうべき外国人研修生が進出してくる様を私は偶然目の当たりにしました。


ただ、これがただちに今後どんどんエスカレートして、日本人の仕事を奪うようになるかというと、そうはならないとも感じました。


日本での仕事や日本企業の業務については、やはり日本人に大きなアドバンテージがあり、その格差が今後も移民たちの前に城壁として立ちはだかり続けると思います。


私がど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場で見た中国人研究生たちは、中国残留孤児が日本への適応に苦しんだケースと全く同じ二つの問題を抱えていました。

国際格差は蜘蛛の糸 その17

ど田舎の田んぼの中の工場でものすごいグローバル化が進んでいたという個人的な体験談ですが、いろいろ書いているとキリがないので、印象的なエピソードをひとつだけ紹介したいと思います。


そこの工場で小耳にはさんだ話ですが、やってくる中国人研修生の質が年々低下しているということでした。昔はなんでも元モデルをやっていたというスラッとしたきれいな子までいたとかなんとか。


日本にいて同じ会社でずっと仕事をしているとピンとこないかもしれませんが、私はこの話を聞いた瞬間にすぐにその理由が分かりました。


おそらくそこの会社では研修生にずっと県内最低賃金程度の給料しか払ってこなかったことと思います。待遇が変わらないのになぜやってくる研修生の質が年々低下するのか?


国内事情だけを見てると、この原因は分かりません。問題の本質は中国の経済成長にあります。


外国人研修制度が積極的に利用され始めたのは、1990年代後半の頃からだと思います。正確な数字は分かりませんが、当時の中国人の平均月収は1万円くらいはあったかもしれませんが、まあ良くてもそれに毛が生えたくらいではないかと思います。


そんな時代に月10万円も中国に送金できたら、一体どれくらいの経済的価値があったのか?想像するだけでもうらやましいことです。


また税制の後押しもあります。どこの国でも大抵そうだと思いますが、高額の収入を得ると高額の税金が掛かってきます。今の日本だと年収2000万円くらいあっても、手取りになると4割近く少なくなるようです。


一方、日本で中国人研修生が中国水準では高額の収入を得ても、日本基準だと低収入になり、税金もさほどかからない。


つまり昔の中国人研修生って、おそらく感覚的には、年収2000万円もあるのに、手取りでも1800万円も残るといった感じだったのではないでしょうか。ブローカーへの借金を払った後、日本での生活費さえ削れれば、現金つかみ取りみたいな仕事している感覚だったのでしょう。


まさに黄金の国ジパングです。


そりゃモデルだって辞めて来るわな。


(もっともこれももうふた昔くらい前の話ですけどね)
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