カモネギFX

株式投資、FXデイトレード、古書収集などをド田舎で行っている資産運用ブログです。

チャイナカモの優雅な新興国投資

国際格差は蜘蛛の糸 その16

安月給できつい仕事を長時間やらされるというと、現代の女工哀史のようにも見えますが、意外な側面もあります。


社内での立場がとても強くなるのです。


中国娘たちの独壇場となっているような部署に派遣やパートの日本人女性が送り込まれても中国娘にいじめられて、ものすごい勢いで辞めてしまいます。中には社員としてせっかく新卒で入ったのに一ヶ月もたなかった女の子もいました。


そこの工場は相当早い速度で機械を動かしているので、流れ作業的なパートでは、前の人間がヘマをすると後ろの人間にしわ寄せが来ます。


ミスすると、キ○ガイのような奇声を上げる中国娘に数多くのかよわい大和撫子が虐殺されていくを見ました。


他人事みたいに私が書けるのは、男のため仕事内容が異なり、彼女たちの製造ラインに加わらなくてもよかったからです。


「工程管理の人は何も(中国娘に)言ってくれない」と日本人女性たちはボヤいていましたが、クネクネする中国娘の色仕掛けにアホな男たちが引っかかっているとは一概には言えない面があります。


日本人女性は、給料が高いうえに、よく休むし、身体能力も低い。


中国娘は、給料が安いのに、休まずいくらでも残業するし、身体能力も高い。


どちらが会社にとって有用な人材かは一目瞭然ではありませんか。


派遣やパートの日本人女性の何人かぐらい欠けてもどうってことはありませんが、中国娘なくしては製造現場の業務が全く成り立たないくらいに会社が依存している、まさに日本の中に中国があるといった状態でした。


私もそういう現状を見て、高い給料取るだけが唯一の仕事の選択肢ではないのだなと初めて思いました。


能力や実績以上に給料が高くなるとクビになりやすくなる一方、安い給料でよい仕事をする人間をクビにできる会社なんてあるわけありません。どこの会社でも変わらない普遍的な真実だと思います。

国際格差は蜘蛛の糸 その15

特殊な熟練を必要とするわけではありませんが、誰でもできるわけではない仕事を任されている中国娘たち。


しかし、彼女たちの給料は激安です。「給与明細落ちてたから見ちゃったよ」という人から聞いたのですが、県内最低賃金程度だったそうです。


とはいえ、実際の総支給額ではそれほど安くなるわけではなく、フルタイムのパートのおばちゃんなんかよりもずっと給料取る中国娘たちはザラにいると思います。さて、どういうカラクリか?


私はそこの工場では午後から夜半にかけて9~10時間くらい働いていたのですが、働きはじめの頃、お昼に見かけた中国娘が夜7時くらいになってもまだ現場に入っていこうとしているのを見かけました。


「おや、随分遅くまで働くんだな」


多分彼女たちは朝からいただろうから私はそう思ったのですが、後で聞いてみると、朝7時くらいから夜の10時くらいまで働いているそうです。


「ええっっ!!!(唖然)」


研修生の年次によって労働時間は変わるため、もっと短い時間しか働かない時期もあるようですが、逆に研修生の入れ替わりで欠員がでる時期にはさらに労働時間が伸びることもあるそうです。


明らかに労働基準法の制限を超えた労働時間ですが、会社も中国娘もお互いにwin-winの関係ですので、横から口を挟む性質の問題ではないのかもしれません。


でも、立ったまま寝てる奴とか結構います(恐)


しかし、そこはグローバル化を絵に描いたような会社で、私がいたわずか一年半の間にも変化が起こり、当時の円安人民元高の影響か、ベトナム人研修生が新規に参入してきて、中国娘たちの労働時間はどんどん奪われていくことになるのでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その14

私が初めて経験することになった冷凍食品の製造現場では、日本人と中国人がミックスされて働いていましたが、パートによっては異様に中国人比率が高いところがありました。1:9とか2:8とか言ったように。


これはつまり若くて手先の器用な女性しかできない仕事を中国娘たちがまかされているということになります。


立ち話で社員の方に聞いたのですが、そこの会社の製造マシンは、メーカーの推奨速度を遥かに上回るスピードで動かしているそうです。


結局、冷凍商品の製造会社はそこしか経験しなかったので、私には比較ができないのですが、確かに速そうでした(汗)


だって、日本のお姉さん、おばさんたちがそこに入ってもできずに他のパートに回されるということが頻繁にありましたので。


「この会社はアスリートでも養成するつもりなのか?」


多少オーバーな表現ですが、そんな風に思いながら、彼女たちの働きぶりを見ていました。

国際格差は蜘蛛の糸 その13

鉄板が飛び交う工業系の製造現場に比べたら、冷凍食品の製造現場なんて子供の遊びみたいなもんだろ。


と勝手に私は妄想していたのですが、完全な勘違いでした。


今はトヨタに期間工に行ったら、給料いくらぐらいかまでネットで調べられる時代です。事前に食品系工場の実態について調べておけばよかった……。


さて、食品系の製造現場のきつさは、その単純肉体労働にあります。


工業系の製造現場だと、重量物はとても人間の持てる重さのものでないことが多いので、天井クレーン等を使って移動します。しかし、食品系の工場だと、中途半端な重量の原材料をすべて手持ちで運ばないといけないんですね。(もちろんハンドリフトくらいは使えますけどね)


本当に人足仕事です。


多少オーバーな表現になりますが、戦前、満州の大連港などで、荷積みなどをしていたクーリー(苦力)はこんな仕事を延々とやっていたのかと想像しました。


私はやらなくてもよかったのですが、同じ派遣やパートのおじさんの中には、延々と土方のようにスコップで食材のネタをあっちからこっちへと移すだけの仕事を何時間、何日、何ヶ月でもやっている人もいて、「世の中にはこんな仕事もあるんだ」と感慨深く思ったこともあります。


もちろんきついのはおっさん連中だけではありません。中国娘たちの職場も大変なものでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その12

アルバイト気分で勤務することになったど田舎の田んぼの中にある工場が若い中国娘で溢れかえっていたという話の続きです。


彼女たちの正体は、外国人研究生という名目の低賃金労働者です。「研修生」とはいえども、わざわざ外国で研修する必要が無い程度のロースキルの仕事が大半です。


私の住んでいるど田舎でもスーパーやショッピングモールで中国語が飛び交うのを聞くようになって久しいですが、彼女たちはこういうところで働いていたんですね。


外国人研修生を受け入れられる数は、事業者が加入している雇用保険の数によって決められるそうですが、私が住んでいる近辺の冷凍食品製造会社はどこも限度枠いっぱいまで外国人研修生を受け入れているようです。


可能なら製造現場全体を外国人にしたいと経営者たちは思っているかもしれません。


私が働いていた頃は、多少平均年齢が上がりつつあったようですが、昔は本当に20歳前後の若さの中国娘ばかり受け入れられていたそうです。


少子化の波はど田舎にも押し寄せてきていますので、これだけの若い娘たちが工場内で働いている姿は壮観です。普通だったら、これだけの数の若年女子をこのど田舎で集められるわけがない。


私も今回初めてやってみるまで知らなかったのですが、冷凍食品の製造現場の仕事ってかなりキツイんですよ。

国際格差は蜘蛛の糸 その11

純文学風に川端康成の『雪国』の冒頭の一句、


「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」


に例えると、


私がど田舎の田んぼの中の冷凍食品工場で見た光景は


「階段を降りるとそこは中国であった」


といったものでした。


初めての出勤日、現場入りしたものの、自分の仕事場が分からず、


「すいません。○号ラインってどこですか?」


と近くにいた人に後ろから尋ねかけると、何か様子が変だ。


「ん?……。あれっ」


よく見ると、名札が中国ネームです。早口で言った日本語なんて通じてなかったのです。


冷凍食品の工場の製造現場は、モジモジくんみたいな格好で、目だけ出しているような状態なので、パッと見では中国人か日本人かなんて分かりません。


しかし、改めてよく見ると、どこもかしこも若い中国娘ばかりです。下手すると、日本人よりも中国娘の方が多いんじゃないかと錯覚するくらい。


「なんだここは……。中国かよ」


工場内の注意書きがどれも日本語と中国語で併記されています。空港かよ(笑)


この田んぼの中の冷凍食品工場では、様々なことが起こりましたし、いろいろな話を聞きました。


グローバル化の波は私の住んでいるど田舎にも露骨に押し寄せていたのですが、私は単にそれを目の当たりにする機会がなかっただけなのでした。

国際格差は蜘蛛の糸 その10

話は現代に戻ります。


昨年に私がやっていたワープア労働は冷凍食品の工場での仕事でした。当時の派遣会社の担当者の話しでは、私の住んでいる地域は冷凍食品の製造会社が非常に多いそうです。


それまでは工業系のメーカーでしか仕事をしたことがなかったので、全く意識することはなかったのですが、そう言われてみると、裸一貫一代で上場企業にまで成り上がった会社も近くにあります。(もっともその会社は最後に味噌をつけて大手企業の子会社になってしまいましたが)


「どうせつなぎの仕事だし、まあええか」


とあまり深く考えることもなく、田んぼの中にある冷凍食品の工場にしばらく勤めることにしました。


チャリンコで走り回っていた子供の頃から、そこにあるのは知っていた工場です。通勤時間は10分もかからないので超近いです。


「おおっ、近いやん。ラッキー」


ぐらいしか思わなかったのですが、あの田んぼの中の工場があんなことになってるとはそのときは到底想像もできなかったのでした……。

国際格差は蜘蛛の糸 その9

深谷さん一家が帰国したときには、既に中国残留孤児向けの帰国者支援が行われていましたが、深谷さんたちはそれについて知らされていなかったそうです。もっとも仮に知っていたとしても、それらはかなりお粗末な内容で、それだけではとても日本語の習得や日本社会への適応ができるようなものではなかったようです。


日本語がほぼできない状態ですので、深谷さん兄弟はかなり過酷な肉体労働に従事するしかありませんでした。


その後、両親の面倒を見ながら日本語の勉強をしていた妹も働きはじめ、かつ兄弟も新たに職場を変えたりして、年金の少ない両親への仕送りを行うことによって、なんとか深谷さん一家の日本での生活再建は進んでいったようです。


差別もいろいろあったようですが、中国で味わったそれに比べるとはるかにましだったとのこと。


日本語の不自由さは後々まで尾を引いたようで、日本に戻ってきて日本国籍にもなったから、日本人と結婚しようと思ったけれど、結局果たせず、兄弟妹相次いで中国の方と結婚したそうです。


救いと言えるのは、生まれた時から日本で育った深谷義治さんの孫の世代は、かなりいい大学に入ったりして、完全に日本社会に同化できていることでしょうか。


幼少期の教育環境は非常に大事だということが分かります。中卒だろうと、ワープアだろうと、日本の学校や日本の会社で知識や経験を積めたということは、グローバル的には希少な「技術」を身につけたということになるのですが、ほとんどの日本人はこのことに気づけないままでいます。

国際格差は蜘蛛の糸 その8

20年もの獄中生活を経て、ようやく釈放された深谷さんは、家族を連れてなんとか日本に帰国することができました。これで、一件落着、安寧の日々が訪れるかと思いきや、さらに苦難の日々が続くことになりました。


深谷さんは軍人恩給を受ける資格があったのですが、身内の何某が勝手に申請してしまっていたらしく、本来の軍歴からもらえるはずの金額よりずっと少ない年金しかもらえないことになりました。


深谷さん本人は長期の獄中生活で、身体障害者に近い状態になってしまっていて、かつ妻も中国で長期の極貧生活に耐えたため病弱となっていました。


深谷さんには四人の子供がいたのですが、息子たち三人が働いて、娘一人が両親の面倒を見るという形で日本での新生活を始めました。


兄弟三人は日本帰国後、わずか七日で過酷な肉体労働に従事することになりました。

国際格差は蜘蛛の糸 その7




戦中戦後の中国で特殊工作員、いわゆるスパイとして働いた深谷義治さんとその御子息である深谷敏雄さんが書かれた書籍です。


中国にてスパイ容疑をかけられて、なんと20年もの獄中生活を送ることになった経験が語られています。スパイ容疑を素直に認めれば、もう少し早く釈放された可能性はあったようですが、「スパイであることを白状してはならない」と日本政府に律儀に義理立てしたためにここまで獄中生活が長期化したのでした。


深谷義治さんは身分偽装のため、中国人女性と結婚して子供も生まれていたのですが、中国政府に囚われたあとは、一家の大黒柱である主人は獄中生活、妻と子供達は反革命分子の家族として、離れ離れで地獄のような生活を送ることになりました。


中国の獄中生活や戦後の社会経済状況が分かる興味深い内容の書籍ですが、ただ単にそれを「かわいそう」とか「悲惨だ」という感想で終わらせてしまうべきではありません。


現代の私たちが読んでも、そこからいくつもの教訓を学び取ることができます。


今回のテーマから見ると、深谷さん一家が日本に帰国したあとの悪戦苦闘の日々が参考になります。
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